7月15日(水)酔ってなお考え尽きぬ堂々巡り


 こんにちは、天高く馬肥ゆる秋、つう位鮮やかに晴れました。
つゆが明けたとはつゆ知らず、だいたいつゆだったんかい?








 汐止め、これって日テレ横で飲む。街は夜も蒸し暑かった。
しかし飲み屋街も閑散としていて、飲んでる方が気を使うくらい
ですねえ。漏れは自前で飲んでんですが、社用族が激減している
っつう感じ。ま、これが正常な姿なんだろうな。和の日本が
銀座のクラブやノーテンしゃぶしゃぶで支えられてたというのが
異常なんだよ。この辺の意識大改革がホントに起きるのかな?
紀伊国屋文左衛門以来の田舎者の成金文化っつう気がします。









 仲間と話してると、「おお、あいつは特異なキャラだったな」
とか、「それにコイツは変っていたぞ。」と言ってるけど、俺
から言わせれば、「普通の人から見れば、みんな真面目な体制派
集団ぢゃん。プ」てな感じで、この辺が半歩メタに浮遊した俺の
長所でもあり欠点でもありそうですね。世の階層化(ヒエラルキー)は
思考の深さに依存するのでしょうか?そういえば我らがこんなに
多様だと思っている日本人は、アメリカ人から見れば一片の類型
化された薄っぺらい範疇に押し込められてるんだろうな。










 そして、こういう類型化が残虐性引き出していくんだ。
同じアリンコだって一所懸命に働いているのだって、遊んでいる
のだっているのだ。黒いアリもあれば白いアリもある。白い猫で
も黒い猫でもネズミを獲る猫はイイ猫かい。1万メートル下の
下町に焼夷弾を落とすのと、1メートル先の赤ちゃんの額に弾を
打ち込むのとは同じ歯止めが掛かるのかな。子牛を殺して舌鼓を
打ってる人間に反省や後悔などあろう筈もない。








 しかしだね。生物は生物を食うしかないつう厳しい生き様を
認識したとして、なおかつ優しい心根って必要だと思う。今、
現にこうして生存しているってこと自体が、連綿とした生存競争
の結果だと思えば、こうしてここにいること自体が悪だっつう
認識もありうる。それで争いを止めた生物は今ここに現存して
いない訳だから、今ここに現存している我らはもちろん悪である。
という堂々巡りのジレンマが生物の根本にあるのだっつう認識に
立脚して尚且つ、人類にこれだけの優しさがまだ残っている方が
とても不思議ですよね。なぜなんだろ?進化の不思議。