こんにちは、天高く馬肥ゆる秋、つう位鮮やかに晴れました。
つゆが明けたとはつゆ知らず、だいたいつゆだったんかい?
汐止め、これって日テレ横で飲む。街は夜も蒸し暑かった。
しかし飲み屋街も閑散としていて、飲んでる方が気を使うくらい
ですねえ。漏れは自前で飲んでんですが、社用族が激減している
っつう感じ。ま、これが正常な姿なんだろうな。和の日本が
銀座のクラブやノーテンしゃぶしゃぶで支えられてたというのが
異常なんだよ。この辺の意識大改革がホントに起きるのかな?
紀伊国屋文左衛門以来の田舎者の成金文化っつう気がします。
仲間と話してると、「おお、あいつは特異なキャラだったな」
とか、「それにコイツは変っていたぞ。」と言ってるけど、俺
から言わせれば、「普通の人から見れば、みんな真面目な体制派
集団ぢゃん。プ」てな感じで、この辺が半歩メタに浮遊した俺の
長所でもあり欠点でもありそうですね。世の階層化(ヒエラルキー)は
思考の深さに依存するのでしょうか?そういえば我らがこんなに
多様だと思っている日本人は、アメリカ人から見れば一片の類型
化された薄っぺらい範疇に押し込められてるんだろうな。
そして、こういう類型化が残虐性引き出していくんだ。
同じアリンコだって一所懸命に働いているのだって、遊んでいる
のだっているのだ。黒いアリもあれば白いアリもある。白い猫で
も黒い猫でもネズミを獲る猫はイイ猫かい。1万メートル下の
下町に焼夷弾を落とすのと、1メートル先の赤ちゃんの額に弾を
打ち込むのとは同じ歯止めが掛かるのかな。子牛を殺して舌鼓を
打ってる人間に反省や後悔などあろう筈もない。
しかしだね。生物は生物を食うしかないつう厳しい生き様を
認識したとして、なおかつ優しい心根って必要だと思う。今、
現にこうして生存しているってこと自体が、連綿とした生存競争
の結果だと思えば、こうしてここにいること自体が悪だっつう
認識もありうる。それで争いを止めた生物は今ここに現存して
いない訳だから、今ここに現存している我らはもちろん悪である。
という堂々巡りのジレンマが生物の根本にあるのだっつう認識に
立脚して尚且つ、人類にこれだけの優しさがまだ残っている方が
とても不思議ですよね。なぜなんだろ?進化の不思議。