1月11日(水)こころの物理主義に立ちても、なお感じるところありっ。


 こんにちは。うす曇りのち雲が厚くなり、また薄くなる。
10℃内外。北寄りの風、ときにつおし。明日は零下かも。












 結局、われら生物の特徴はかだらの入れ替わりにあるな。
機械はその構成要素が決して入れ替わりまへん。つうことは
生体は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしの
ないうたかたなんだろな。
















 一つの受精卵が分裂して生命体を構成するんだとすれば、
脳とこころっつうのも物理主義に傾かざるをえないよね。
アメーバが化学物質に反応するように、外界からの刺激に
反応すること自体が認識を形作ると。で、このように鮮やか
な色彩世界はミツバチの認識にもあるんだろうか?当然ある
よね。こころって物心つく時期に、天上から脳に注入される
ものではないとしたらねィ。

















 生物を出来上がった固定したものとして捉えると、現在
生息するすべての生き物は適応的であるといへまふ。しかし
生物は絶えず動いていて、その変化の途上であると思えば
「みんな違って、みんなイイ」ってなりまふか?ハイハイ
この辺が進化絶対主義の錯誤なんでしょうねィ。
















 で、「日輪の遺産」を借りてきた。これはいじめっ子でげ
すよ!原作者も監督も弱虫を故意に泣かせようとおもって、
実際にあの手この手で泣かせます。抗いようもなく、泣かせ
られます。なにせ13歳の少女たちが不憫で可憐で、なおかつ
凛として潔いのですよ。泣けた泣〜けた♪こらえきれずうに
泣けたっけ♪真柴少佐も小泉中尉も赤鬼軍曹も先生もみんな
良かった。これは人の本質が他者の為に自分を犠牲にすると
ころにあるためだと思いまふ。そのような行為に、我らは自
然に感動するのれす。これがカマキリやクモのような単独行
動者なら、他の為に働いたとてなんで感動なんかするものかィ。













 われらの本質は、その自然なる感情の内にあるのぢゃああ!















ウエ~~~~~~~ン