6月10日(水)大根の切り株から出た芽を見つつ感じたこと

 こんにちは。終日うす曇り。ようやく梅雨が箱根の山を越え
たそうだ。でも、マレーシアの湿気ってこんなもんぢゃないもん
じゃ。そうそう日本で云えば、サウナに入ってるように濃いん
です、湿気が。まとわり付くんです、湿気が。あの、ネットリ
とした重い熱帯の空気が嫌でしょうがなかったけど、今では
なつかすい。







 ものごとには何でも両面性があるってホントだよね。例えば
人類は前頭葉を発達させて推理能力を発達させた。過去の経験、
学習記憶に基いて未来の結果を予測してチョイスすると。この
可選択性が自由意志とかゆわれてるもんですぅ。いわゆる自己
の責任で一瞬一瞬を選び取るアンガージュマン、実存ですね。






 で、この未来予測っつうのがアンビバレンスなんざんすぅ。人に
よっても個人差があるしね。悲観・楽天のハザマ。変な風に先
を見切っちゃうと絶望してジ・エンド!あくまで自分のほんの
チョットの狭ーい経験・学習の範囲からの予測に杉ないのにね。






 もちろん、この思考能力があるから効率良く集団で狩りをし
たりして生き延びれたんです。この能力は進化に適合的だった
んです。先を見て、それが牧畜に発展し、農耕に発展し、文明
を築き上げました。それで、今は適合しすぎて何万発もの核兵
器を蓄積したり、資源やエネルギーをガボガボ使い放題浪費し
たり、大きくメタにメタメタに人類全体で見たらホントに先を
見てるのかね?つう状態に陥りますた。






 この辺が人類の過剰適応とゆわれる所以ぢゃねーのかな?
徒に小賢しくなり杉たのだ!とか。「空飛ぶ鳥はなどて明日を
思い煩うことがあろうかい!」瞬間瞬間を生きてるものの幸せ。







 大根の青首を薄く切ってお皿に水を張って載せておいたら、
瑞々しい新芽が沢山出てきたのを見て、ふっと感じました。
もし、この俺がこの大根の切れ端だったら、こんな根無し草の
お先真っ暗な境遇に陥ったら、どー思うだろうかと。たぶん、
未来を悲観して水も吸わずに自死するだろうな。でも植物は
どんな過酷な環境でも(先を読まずに)必死で生きて行けるん
だ。強い、つおい、強い、つお過ぎ。








 ね、無知の強さってあるでしょ? ホントは先のことなんて
分からないことだらけなんだよ。自分の経験に閉じこもるのは
よそうと思いました。予想に縛られるのは、よそうと思いまし
た。フリーダム!