6月9日(火)この世にある事実を全て認めれば、不思議なんて無いんだい


 こんにちは。薄曇りのち薄晴れ。遠方かすみがち。
湿気がだんだん強くなってきました。そろそろ雨の季節かな?







 「意識」というのは自己写像的で科学的な把握は難しい、と
云われていますが、心理学または哲学的には古代から考察の
対象になってきました。ましてクオリアとかいう純主観が科学
になどなるものかい、へん!つうのが今の大勢でしょうね。
光の波長やエネルギーは分析できても「赤」という質感は脳内の闇
に閉じこもったまんまですぅ。科学的にはこの脳内の赤青緑の
各質感を波長に対応付けて写像して外部に持ち出して扱うしか
ないのですからね。だから、どこにどんな突破口があるのか
皆目見等もつきません。一つの思想運動つうんなら分かるんで
すが。ハア〜








 だから、今の脳科学って機能の脳内野のマッピングと心理学的な
効果のミックスみたいに新興宗教化してるざんすね。つまり
心理学的な効果にfMRIなんかでお墨付きを出してるだけです。
でも、心理学にある種の基礎を与えるという意味では意味なし
とはいえないのかな?







 占いの研究とか誕生月の性格とか星座による運命とか雨男と
か、実際の社会でもそれを信じて行動してる人がいる、という
意味では事実であるから、「科学的ぢゃな〜い!」と言って
無視するよりも、社会心理学的な構造を研究するのは無意味の
意味くらいはあるでしょ?







 人の脳って関心ナイことにフィルターを掛けやすいから、逆に
関心が向かうものだけ記憶に残って(あるいは記憶が再生
されて)星座占いや雨男が当たってるように思うんだ。で、
こういう思い込みや先入観は誰にでもあるし、当然自分にも
ある!しかもこれは生きていく上でとても重要な役割を果たし
ているんだ、でもこういう事実は自覚すべきだ。というのが
現象学的な還元らしいよ。構造主義もこの辺から出てきたよう
だ。つまり、思考の特殊相対性理論から一般相対性理論へ!
かな??? こういう脳の志向性を滅却するには自己を削ぎ
落とすしかないから、これはもう思考作用ぢゃなくって厳しい
修練しかないんですぅ。








 学つうのは体系であり、科学というのは実証であるから、
そういう名前を語るのはまだまだ時期尚早つう分野は一杯
あるけど、やってる人が気分良く勤しめるんならおいはあんま
りいちゃもん付ける気はねーんです。いや、小姑みたいな
のが世の中にはたくさんいますからね。気鋭のボクちゃん方も
やりにくいかも痴れんねぇ。








 最近ふと気がついたことで、極めて重要なことは、生物や
メタ生物である社会には余裕つうか「ゆるみ」というものが
ないとパニクってホロンびやすいということです。でも、こう
いう態度が大っ嫌い!という人々もおりますから、そういう人
の存在も含めて「ゆるみ」っつうことで、気楽に行きやしょう。






 この世にある現象をすべてそのまんま認めれば、不思議は
存在理由を失う。その現象の意味や存在理由を問うから、
ややこしいことになるんだ。これが無為自然の生き方。当為
は問わない。これはまた難しそうだなあ。覚悟がいるぞい。







 そろそろ、花菖蒲が見頃になったかな?紫陽花はまだかな?
ぼくは雨の季節もきらいぢゃなーい♪