残念な人たち、しやわせな人たち


 人間って見えない才能も、比較的見えやすい運動能力や勉強能力などと同じように多様だと思うわけです。要するに個人差は歴然として存在すると。ものすごく優しかったり、集中力がつおかったり。逆に、人を支配したがったり、我が侭でむら気だったり。記憶力が悪くてもすばらしいダンスの才能があったり、鉄棒はできなくても絵がとても上手だったりします。 
 知能とか言われているものが、ある物差しで勝手に低いとか言われている人の中には音楽にすごい才能があったり、何でも覚えることができたりする人もいます。そういう人の中には、一緒にいるだけでとてもしやわせになるような気質の子もいます。この最後の例の人なんかは、どんな職業の人や立派な人に較べても資質としては一番優れていると言えるのではないしょうか。この世界で人をしやわせにできるくらいに大切なものは他にありません。僕はほんとうにそう思います。
 だから人は自分を客観的に見て、その人物像を愛せなくては、他の人など愛せる訳がありません。自分を愛して、そういう自分に良くしてくれた回りの人たちに感謝して、そういう回りの人たちが喜ぶことだけを考えて生きていけたら、それはそれは素晴しくしやわせなことだと思いませんか。良いトコ探しは宝探しです。

ブクマのコメを見ていたら、一つの法則が浮かび上がってきました。

「人生を貧しくする一つの法則」: 主題ではない小さな瑕疵にすぐ目が行ってしまい、エントリの主旨を自分のこととして生かしきれない人。批判をすることによってのみ自分が偉くなったように感じる幻の世界の住人。こういう人はどんな世界にでもいます。でもこういう人々にもイイところはあります。それはできるだけ客観的に見ようと努力をするところです。だから切っ掛けさえあれば人の良いところだけに目を向けれる可能性があります。人の欠点ばかり追いかけてプチ・プライドを満足させるより、人の長所に目を向けれれば自分もしやわせになれるのにね。ザンネン