4月20日(月)最適を最適化するのはかなーり難しい

 こんにちは。ウス曇り。でも爽やか。
そろそろ藤の花を見に行こうかな。ボタンもイイし、そして
その次は花菖蒲。春は花の季節です。そう言えばもう何処か
で鯉のぼりを見た。








システム論的な最適化の考察:イーィなハイ!はいハィはい♪






 全体最適とか局部最適とか言うと全体主義個人主義の価値観相克みたいになる。だけど、人体の中の仕組みや自然環境循環は巧まずして全体最適で動いている。だから、その中間に位置する人間性全体最適でない訳があろーか?(いやない!) 全体主義に問題があるとすれば、それは全体最適を指令する者の問題であって、実は自然システムにはそのような全体指令者は存在しないのです。つまり各要素がその要求に沿って極自然に振舞えば、図らずして全体最適になるというのが理想的な全体最適です。これが無理な見えない神の手指向だとしたら、少なくとも各要素が相互にネットワーク連結して、その情報の中で全体にとって最適な行動を取ろうとした結果が全体で最適になればイイわけです。つまり、全体最適は行動指針ではなくって評価関数くらいに位置づければ、全体主義の弊害に陥らないんぢゃねーかな?一方、局部最適の行動が全体のバランスを崩して、結果として各要素を害するってことは良くあることですからね。ただ繰り返すけど、全体最適つうのは何処かの独善者あるいはドミナントグループが決めて指令するつう代物ではなーい!と言いたいですねぇ。また個人の生き方に限って言えば、自己保存の本能はありますが、公共財は俺様最適だけでは磨り減るだけですから、その補償として自己犠牲の愛の精神が必要なんです。愛の自己犠牲が人類の歴史を通して最高の価値を与えられてる所以ですゥ。
 社会的チキンゲームにこんなのがあります。「ハガキに千円か一万円かのどちらかを書いて送ると、その通りの金額が貰えます。ただし一万円と書いた人の割合が20%以下の場合のみに支払いを実施する。」実験結果はたいてい一万円の割合が20%を超えて支払いは無いとか。今の日本でやったら一万円と書く人の割合は50%を越えるかもね。タダの定額給付金も貰えたらラッキーてな人が多いから(本当はタダぢゃないのにね。将来のどこかで必ず付けは払わされます)。個人的合理性追及と社会的合理性追及の最適化は社会の倫理観しかないのかもね。トホッ







 今日はちょっとミッチリ書いてみた。さすが俺様タマムシ
理屈っぽく書くとシッチャカメッチャカですね。がっははは(照れ隠し)。