7月29日(水)ジュラシック・ワールド

 薄曇りのち薄晴れ。27℃〜32℃、60%。水泳10本。また楽しからずや♪蝉が夜鳴きしている。





 史観で弛緩:そもそもど〜生きるのか?だから史観に関心なくてもそれでイイっ!

 人間は何かの拠りどころがないと生きてはいけません。それが人生観なんすね。人生観は世界観によりまふ。そして世界観は歴史観に依存するんですぅ。勿論歴史観にも「新選組が好きか、吉田松陰がすきか?」ってなローカルなものもありますが、その大本は直線的な進歩史観(退歩史観も?)と、円環的に繰り返す循環史観に分かれるでしょう。物事には始まりがあり終わりもあるのか、始まりも終わりもないループなのだよ、つうのは大きくちげーまふ。すっげー大まかに言へば、西洋は創世記から最後の審判に至る前者ですね。東洋は今現在が永遠であるつう輪廻の思想だす。

 ディジタルってのは0か1かの始まりがないと始まらないから、どちかっつうと直線史観かも。でもすべての生物はとうの昔に始まった世界に投げ出されるのですから、そこを始まりとしてもイイのかもしれない。あとの前後(過去・未来)は想像の世界。自らの有限性の自覚が、世界の無限性の発見につながるかもしんねえからな。世界の始まりも、生命の始まりも、イロエロと仮説はありまふが、ホントのところはさっぱり分かってねえのが現状、いや限界かな?

 永田鉄山、石原、武藤、田中、東条ってな「一夕会」史観もあるしね。これは資源が無ければ国はホロン部つうもの。それで満州、北支、南洋を支配下に入れ戦争継続体制を整える為、逆に戦争に突入したと言ふ後先逆の結果論。戦後、外地がぜ〜んぶ無くなってもオープンな貿易・工業立国したら高度成長したと。嗚呼、何をかいわんや!こりは何を意味するのか?→すなわちたった一つの史観に拘って国の未来を賭けると、とんでもない事態になりますよ?ってことなのかな。

 お花畑とゆわれてた欧州統合も、資源地帯の取り合いを止め、共同管理から始まったとか。でも資源ってなんや?むかしは石炭、鉄鋼、ボーキサイト。それから石油になって今は天然ガス。これらは戦争継続に必要な資源だすぅ。でもホントの資源は豊かできれいな水と人間の誠実さなんですYO。これが無い国は、みんな人心が興廃しておーる!

 つうことで戦後70年も経って、またぞろ人類の宿痾がぶり返してきたこの時期、ごまんとある史観の中で何を選ぶのかが厳しく問われているのではアルマイト


 んで、ぼくの弛緩した史観では、防犯は必要だけれど警察国家はいやだよ。自衛は必要だけれど絶対国防圏を拡げるのは嫌だよ。一人では守れないと言いながら、他国とつるんで世界の自称警察になるのは嫌だよ。ってなところかな?世界と仲良くするんならどんな国でもよーし♪被害妄想でガチガチに鎧うより、友好国を一つでも多く拡げる方が国防の役に立つ。それよりなにより、守るに値する国にする方が百万倍も良かんべぇ♪(いくら勝ったって、憲兵特高が威張ってる国は嫌だしょ?)
 





 

 忖度、萎縮って怖いですねぇ:マスコミ、大学、美術館の次はどこでしょう?

 ミルトン・マイヤーは1955年の著書『彼らは自由だと思っていた』において、ドイツ人の教授から聞いた話としてニーメラー牧師の行動について以下のように記している。

"Pastor Niemöller spoke for thousands and thousands of men like me when he spoke (too modestly of himself) and said that, when the Nazis attacked the Communists, he was a little uneasy, but, after all, he was not a Communist, and so he did nothing; and then they attacked the Socialists, and he was a little uneasier, but, still, he was not a Socialist, and he did nothing; and then the schools, the press, the Jews, and so on, and he was always uneasier, but still he did nothing. And then they attacked the Church, and he was a Churchman, and he did something--but then it was too late."

訳「ニーメラー牧師は何千人もの人々の前に、彼自身のことを(あまりにも謙虚に)こう語った。ナチス共産主義者を攻撃した。彼はやや不安になったが、彼は共産主義者ではなかったので、何もしなかった。そして彼らは社会主義者を攻撃した。彼は不安だったが、社会主義者ではなかったので何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、となり、彼はそのたびに不安になったが、やはり何もしなかった。そして彼らは教会を攻撃した。彼は教会の人間であった。だから彼は何かを行った。しかし、それは遅すぎた。」