4月16日(木)我ことにおいて後悔先に立たず


 こんにちは。晴れのちうす曇り。せっかく良い気候なのに
ものを育てるという楽しみがないと寂しいな。





 過去を振り返ってはあーすれば良かった、こーすれば良かっ
たとウジウジするのは精神衛生に良くないでしょ?
「我事において後悔せず」と昔の武士のさむらいも言ったです。
前大戦においても心の定まらないご都合主義者ほど素早く反省し
コロリと立場を変えました。そして人にまで後悔を強いるのです。





 しかしですねぇ、何事も悪いことばっかしではありません。
将棋の感想戦のようにああだこうだと選択肢を振り返ることは
決して無駄ではないのだ、という理論もありますです。







 脳研究によれば、眼の真後ろにある「眼窩野」というところが
後悔を将来の行動選択に役立てる働きをしてるとか。この部分が
後悔の経験を累積し、後悔に伴う負の感情を最小化するように
行動選択を変化させていくんだ。「ああ〜、あの時ああすれば良
かったなあ!」とかのイフが将来そういう後悔を起こさないよう
な行動へ導くんだと。だから後悔しない人は何度でも同じ失敗を
繰り返すんだ。ホント?







 でも反事実推論つうのがあって、これはトータルでは損すると
分かりきってること(パチンコ、宝くじ、競馬など)に、勝った人
をみて「ああ、俺もあのとき買っていれば」などと詰まらん理由付
けをすることを指す。これはあんまし良い後悔じゃないね。しかし
眼窩野つうとこは反事実推論による高次な情動(後悔)に関与する
んだ。そして眼窩野は負の情動を最小化することによって、行動の
柔軟性と変化する環境への対応を可能にさせるのだ、と脳科学
言ってるのだよ。ナントナク・ワカッタ? 






 「ヒトの意思決定は報酬が最大になる方向に最適化される」つう
従来の理論から「選択した後の後悔という負の感情を仮想して、そ
れが最小になるように逐次選択を変化させる」という理性に感情を
いれた失望後悔理論へ脳科学が変化しつつあるよ。







 でもね。漏れはね、理論は理論として生き方としては後悔という
安易な手段に安住せず、過去の自分を責任をもって引き受ける生き
方のほうが潔くってイイな。宝籤なんて当たらなくたってイイんだい!