4月15日(水) ホントの寛容とは何か:一次案


 こんにちは。晴れ。しかし強風。
落ち葉が舞い飛んでるなあ、と思ったらクスノキだった。
常緑樹だが若葉がでる頃に、古い葉が紅葉して落ちます。






 (昨日のエントリの感想だけど、リアルを知らないでまがい
物で満足してた人がリアルを体験したときは「本物はやっぱ
し違うな!」という感想をもつんじゃね?と我が身を振り返
っておもたぞ。本物を知らないうちはそのときの環境で手に
入る最善で満足しちゃうけどね。しかし、本物を知った人が、
なおその上で仮想に突入するのなら、本物を超えた境地に到
達できるのかもしれない。俺は知らんけどね。)







 間違いの原因にはちゃんとやろうとして失敗したミスと、
故意に間違えるウソとがあります。人間は必ずミスをします。
しかし意図的にウソをついて悪をなすこともあります。








 業界にはミスが財産になるようなものがあります。たとえば
半導体業界など。これは一時、世界トップシェアを取ったこと
もあります。それで貿易摩擦を引き起こしたとか。しかしその
後、インテルとか韓国、台湾勢に敗れて今では落ち目のフンドシ。
当時なぜトップを取れたかっつうと、ミスつまり失敗の集積が
あったから。半導体製造は誇りぢゃなかったホコリとの戦いで
無数に起きた失敗の蓄積が生産効率の向上に直接結び付いたの
だった。このように失敗の歴史とその多さが競争力に結びつく
業種は沢山あります。新規参入者がなかなか追いつけないから
です。






 しかしこういう環境に安住しては「偏に風の前の塵に同じ」。
MPUのスタンダード化で攻めてきたインテルにまけ、量産に特化
した韓国、台湾の生産力にまけました。特に後者は失敗の集積で
あるノウハウをごっそり人ごと引っこ抜かれて壊滅しますたよ。
日本企業が人を大切にしなくなった時期と同期した出来事でしょ
うね。






 失敗には寛容であらねばならぬ、という真の意味を見抜けなか
ったグローバリズム信者の浅はかな知恵でした。罪を憎んで人を
憎まず、ならぬウソを憎んでミスを憎まず、ではなかろーか?




本案はたしょう功利的であるから、更に考察が続くかも。