1月27日(火)空虚な哲学な時間


こんにちは。引き続き晴れ。さぶい。やや乾燥。







 時代の空気はますます悪くなってきて「不安」が周りを取り
囲んでいます。我々は平均的、日常的な枠組みの中で他人の眼
を気にし常識に従って統計的存在として生きていますが、突然
このような枠組み、世界内存在が崩れるときがあります。







 ハイデガーはこのような人間を「現存在」と呼んでいわゆる
平均的なあり方と区別しました。で、この切っ掛けは何かと
言うと、「死」の意識であります。「死」は誰にも代わって
もらえず、まさに自分自身が引き受けなければなりません。
これが個の意識を際立たせると共に、そこで完結された全体を
規定できることになり、限られた時間に意味を持たせます。








 限られているからこそ時間性が重要になり、限られた「時間」
が意味をもって迫ってきます。仮に永遠の命を持てたとしたら
時間自体が意味を持たなくなるでしょう。死へとかかわる人間
存在は時間性が重要な要素となります。そこで「時間」とは何
か?





 これが「存在」を考えれる唯一の存在者、人間(現存在)の
基礎であーる。と、含みを持たせておきながら、その後「時間」
についての考察はついに発表されませんでした。









 でも、現実存在(=人間)の前触れ考察があまりにも面白かっ
たから今でも影響力があるんだってさ、ハイデッガーさん。
なんか「メメント・モリ」の亜流のような気もします。漏れは
原文読んだこたねえんですが、日常の人間のトホホな描写と存在
の意味に気づいた現存在の語り口がえらく説得力があるってえ
から死ぬまでに一回は読んでみたいよね。テヘ









 人間虐げられて性格悪くなるのか、それを梃にして強く正しく
なるのかの二通りがあります。それが何の要因で決められるのか
は全く分かりません。でも、そもそも出自が悪いからイイこと
なんか無いでしょう。1億年間も恐竜の足元でコソコソと虫を
取ったりしてたから、すっかりヒネた根性が身に着いてコセコセ
と周りに「気遣い」しながら生きてくのが根本的な在りかたなの
でしょう。トホホホ