12月22日(月)生と死のはざまに漂う我が身かな

 こんにちは。終日曇り空夜半冷雨。陰鬱。
って、これはおらの心象か。






 虚無主義悲観主義は違うよね。
生まれる前を考えれば何も覚えていないし、何も無かった訳で
すから死んでも同じ状態に戻ると思えば、死んだら無に戻るだ
けっつうのがかなりの確からしさで推測できます。一切皆空。







 でも、それじゃ余りにも味気ないから死後の世界を考えるの
ですが昔のように天上とかを単純に想像できなくなりました。
人工衛星なんかの宇宙の映像が誰でも見れるようになって、
そこには真っ黒な宇宙空間が広がっているだけ、と分かってし
まいましたから。







 で、死んでしまったらお終いなんだから生きてることも無意
味というのも飛躍しすぎという気もする。どうせ終わりがある
から映画も見ないし小説も読まない、と言うに等しいかな。
飲んでも食べてもどーせ排泄されるんなら、飲食しないと言う
に等しいかな?








 要するに「これは終わりよければすべて良し」の思想でプロ
セスつうものを考慮しない偏狭な考えなのだ。人生はプロセス
に在り。しかし有意義に生きるためにイメージが必要だという
のならそれは人の自由だ。イマジネーションつうのは芸術の元
でもあるし、科学的な現実だって突き詰めれば何処か(ビッグ
バンの原因とか理由とか)でイマジネーション(仮想)に突き
当たるしね。








 それに現世でのどーしても解消できない不条理はあの世に持
ち越さざるを得ません。たとえば悪人が善人を踏み台にしてこ
の世を謳歌し大往生をとげる、善人は失意の中で困窮しみじめ
な一生を送る、なんてざらにあるよね。だから因果応報つうの
はどーしてもあの世に持ち越さなけりゃ解消でけんのですよ。
天国と地獄とか、閻魔様とか。








 で、ぼくの態度はっつうと、善人にも悪人にも、アホにも
悧巧にも偉人にも凡人にも死はまったく平等に訪れるのだから
それは公平といへる。だから思いっきりこの一度しかない人生
を楽しみ悲しみ苦しみ怒り、疾風怒涛に駆け抜けようではない
かい!つうことです。






 
 死んだら極身近な人は10年くらい覚えていてくれるかも知
れない。有名人なら100年くらいは覚えていてくれるかな?
偉人だったら千年二千年は記憶に留まるかもしれん。でも万年
は無理でしょ。百万年といったら人類はいないかもしれない。
だから名を残しても時間差くらいで意味からいえば同じこと。
共感の波の振動は時代を越えていったいどこまで届くのでしょ
うか。







 意味を求めても無意味なら、存在の不思議に身を任せ、日々
興味に任せて面白いことだけして暮らそうか?そうできたら
イイな。