時間を見たものはいない

ああ、もう木曜日か。今日もぐずつくお天気。明日はどうだろか。
梅雨が20日早く始まったのなら、雨の季節も20日早めに終わる
のでしょうか?そして秋も20日早く来て冬も20日早く来るかも。
こうして時間と言うものはまるで滝つぼに吸い込まれる流れのよう
にどんどんどんどん加速されて行くのでしょう。







時間が認識の問題だというのは、高速度撮影や低速コマ抜き撮影を
見れば分かります。虫の時間とモアイの時間とはまったく異なる
ものでしょうか。低速度撮影で見ると植物も動物並に動き回って
ますね。大陸もふわふわと動いているのも分かるかも、百年1コマ
くらいで認識出きれば。時間を空間化した思想は全て間違いです。
時間は一方向だし、区切れません。折りたたまれた意識に杉ない。
うん、明日は上野に行ってこよう。西郷さんはデブッチョでお供の
ワンコは可愛いな。







選択というのは意志か偶然か!知らん間にこの道を歩いていたと
いうのは良くある話し。人との出会いも一期一会。ある決められた
定義域のなかでの自由意志。お釈迦様の手の平からは抜けられませ
ぬ。例えば薔薇や蘭、犬や猫の多様性は人為選択によって齎された
ということはメンデルのえんどう豆が教えてくれる。
しかるに人間がこのように阿呆に成り下がったのは如何なる者の
選択なるや。とても法則などと言うものがあるとは思えませぬぞえ。








そうそう経験論の弱点は全ての根拠を知覚に置いたとこ。
五感に与えられたものだけが現実で、この一瞬一瞬の印象が時間と
ともに固定化されたものが経験、これがすべて、あとは全部まがい
物、とか。ヘヘ
でも知覚のもとには必ず外部の何か原因があるんじゃねーの?つう
ごく当たり前の疑問に、屁理屈こねたのが「因果律の否定」。
物事には必ずなにか原因があると思うのは実はマヤカシなのだよ!
それは思い込みに杉ないし、自己欺瞞なんだよ!とかとかとかとか
WWWWWWWWWW物は言いようで丸め込めると。







だから論理と直感ではどちらを優先させるのか?つうと、そりゃ
直感だわな!つうのも経験論の種子だから、こりゃいかんとも出来
ない矛盾の固まりだわな。論理も禍福あざなえる縄の如しと言うか
らにゃ、一喜一憂していたら数万人の哲学者はやっておれませぬぞ。





たははは、なんか今日は何時になく冷静な論調だね。我ながら関心、
感心、いや寒心。ではでは諸君、威儀を正して、おやすみなさい、
またあした遊ぼうね。くっくっくく、ワロタ♪