ダーウィンの夕べ


こにちはー。晴れときどき曇り。でも薄日。やや暖か。





思い立ったが吉日でダーウィン展に行ってきた。隊長悪くて
ヘロヘロだったけど、意欲を逃すとあっというまにたこ入道。
ほんとに機会ってえのは女神の後ろ髪。予め予備資料は読んでる
から今日はブツを見るだけ。





いやあったあったあったあった、直筆どころかダーウィンが実際に
採集した小虫まで展示されてた。あと住んでた書斎とか日記、手紙
なんかのアリンコみたいな細かい文字。こういうのを媒介にして
本人がどんな気持ちでどういう考えの変遷を辿り結論に至ったのか?
とかのその人の気持ち成り切りシュミレーションつうのをやるのが
展示会オタクの裏技。今日は充分堪能できました。





考えれば考えるほど当時としては革新的だな、とか思ってたらやはし
社会の機運ていうのはありますね。社会的にも学界的にもうつうつ
としたマグマは溜まっていて何かのきっかけで噴出しようとの機運は
確かにありました。ビーグル号の冒険から戻って20有余年、ビビッ
ている(いや、アラユル証拠を集めている)内に、弱冠ウオーレスが
論文を発表するとのメールに接しおったまげた。それで周りの周旋で
同時発表ということになったとか。「殺人を告白するような気持ちだ
った。」というダーウィンの告白もホントのところは当時の世相が
分からなければ実感できないくらいに大反逆。牧師になるか医者に
なるかが社会的なステータスだったからね。このヲーレスくんは
貧乏でそれでも南アジアで4年間必死で集めた標本を乗った舟の難破
で失い、自信も10日間漂流してようやく助かったとか苦難の連続。
それでも先輩ダーウィンに並べた事を心から喜んでいたというから、
たんなる先陣争いではなかったのかと。ジー






しかし150年経っても生き残っている理屈ってすごいよ。おおむね
基本は生きている。派生的な解釈はたくさん出てきているけどね。
あのマルクスも最も尊敬する人ですう、とか書いてるとか。
でも、若年にして母と死に別れ神とも離れてしまったから、天国に
逝った愛妻、愛嬢とはなれて寂しかったんじゃないかな。理を極めた
人の宿命かも。




しかし影響力のある仮説は社会的にも政治的にも利用されやすいとい
う法則は発現してナティスや優性論にも影響してたとか。多様性の
理論が優者生存に曲解されてたようだ。科学理論が政治的な力を持っ
たときには、いつでも気をつけるべきでしょう。温暖化とか。



でもアメリカではインテリジェント・デザインとか言って神様が設計
者だという考えが根強く、いまだに州ごとに教育論争があるとか。
日本の歴史問題以上らしいよ。






と、ざっと感想述べただけでもう疲れたから、受けた印象はだんだん
滲み出てくるように、どこかに反映されることでしょう。10代、
20代の若い女性が多かったということも一つの印象かな。それに
両親に連れられた小学生も多かった。日本の未来は明るいかも〜
ではでは、疲れたけれども、面白かった。おやすみー。