9月10日(土)在ると想えど姿は見えぬ、ホンにおまえは屁のようだ。プ〜



 こんにちは。晴れ。残暑というよりも夏の再来。真夏日
でも朝晩は秋を感じさせます。イヴェントへ行っていも煮を
食べますた。人々の善意の集まる場所はここちイイですぅ。





 佑ちゃんマーくんに負けてもうた。ま、長さんも新人の頃
、金田に4三振だったからなぁ。二人ともガムバレイ!














 イギリス経験論の中でもバー栗は特異な存在であーる。
経験を突き詰めると「存在とは知覚されることであーる!」
という見解に行きついた。知覚すなわち表象されるもの、イ
メージや観念で捉えられねば無いも同然。こういう身も蓋
もないことをイギリスはときどきやりまふ。なにしろ経験論
から主観的観念論に一足飛びですからねぇ。















 でも一理あるよね。知覚されないものをどーやって認識
でけるのか?認識でけないものはあっても無くてもおんなじ
でい!それともあなたは神ですかい?赤い色や美しい音は主
観的なもので客観的に普遍化できない。しかし長さや重さ
などは客観的な尺度になりうる、つう意見はありまふ。
しかし長さや重さだって心象から逃れうることはなーい!と
思えばすべては存在しないことになりまふ。

















 世界の見方は二通りありまふ:


1.心から独立した外部にただ一つ存在し、我々の表象(記
  号)と世界との間には完全な対応が成り立つ!という神
  の視点の容認。
2.世界は論理や記述の内側でしか意味を持たない。ゆえに
  真な記述は複数ありうる。真理とは信念や経験との間の
  整合性であり、心から独立した事態との対応ではない。
  (神の視点の排除)


 前者は外在主義、後者は内在主義ともいへまふが、おらが
氏んでも世界はあるんだい!つうごく常識的な見解は前者と
いへるでせう。



















 ああ、このブーメランなる大罪は一体誰が作ったんだろ?












ポカ~~~ン















 自分にとってクリティカルな事物は語りえない。語りえない
ことについては、沈黙すべきである。カナ?