ゴリラの存在感に圧倒される


こんばんは。ハレ。でも晴天ぢゃなく、いつもの白天。
帰りに髪床に寄って、夏刈りにしてきた。頭が軽いぜ。





個々人の酒肴に、いや嗜好に普遍性はあるのかっ、つう問題は極め
てむつかしいです。大まかには一致している”らしい”。たとえば、
悲しい音楽とか楽しい音楽とか、音調自体が人類共通しているよう
にも見えまする。たとえばチャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルト第二楽章の
はじめにあるこよなく美しい旋律に戦慄して涙を流したあとで、
癒されて熟睡し、突然の全合奏で飛び起きた人はわたしだけでは
あるまい。しかし、細部まで一致しているのか?と問われれば心許
なし。だから、ひとはムードで一致し細部はボカスくらいでイイの
でわ?







とか、突然変な話題から入ったのは他意はない。ただ思いついた
からに過ぎません、スイマセン。
で、先ほどゴリラ先生の第二週のビデオを見て、この一見ブッキラボー
な先生に思い入れ一塩。人の本性を見つめたいのだが、一番の近縁
種であるゴリラとの一致点、差異を明らかにするのが良いとか。







それでゴリラは鼻歌を、皆と食事する楽しい時も独りでいる寂しい
ときも歌うんだよ。これは人と似てるとこ。これは内省的で歌って
る自分を見つめて楽しんでる。違うとこは、ドーンと「構え」てヒト
みたいにぺらぺらと屁理屈をこねないとこ。ま、喋れないんだから
仕様がナインだけどドーンと存在感のある理屈抜きの美意識。
卑怯なことは出来ない。






とかイロエロ述べて宝、ゴリラくんに興味のわいたヒトは再放送を
お勧め。一つ気づかされたのは、普通の動物は親は子供を可愛がる
が、親を気に掛けるのは人間だけ。つうこと。ま、先祖を含めて信
仰に発展したのかね?それと進化には後戻りはナーイ!!だって。
変な道に踏み込んだら ジ・エンド! コワ






いちど会いに行ってみようかな。でもお土産がないとダメかも。
そうだ、ゴリラには詳しく無いが鳥には詳しいぞ。鳥もよく遊ぶん
だ。それに良くお喋りするから、鳥あたまと言って記憶力は良くな
い。んー。でもカラスの野郎は頭もイイナ。そうか、鳥とかひと言
で言ってるから良くないんだ。哺乳類とか言ってるのと同じ位の
精度だもんな。ヒトとゴリラを区別するんなら、川鵜と海鵜との
差くらいだものな。人間至高の思想からはなかなか逃れられんよ。






は〜れ〜、もうこんな時間かい、また夜更かし。もやすみーグッナイ!