二八蕎麦

こんばんは。薄曇りときどき薄日。あたたか。
街路樹の新緑が一段と濃くなる。





江戸時代の町人は九九も覚えていたし、割り算の九九(八算)まで暗記
していて大抵の加減乗除はソロバンでこなしていたそうだ。庶民レベル
では当時の世界一だったと云われてますね。


1両=4分=16朱=4000文とか1斤160匁とか


4進法の単位が多くて、どちらかと言えば10進法よりコンピュータに
近いですぅ。それで掛け算は三五拾五とか少ないほうの数を前に言う。
反して割り算は「五三天作の六(30÷5=6)」とか30から10
を省いた3をあとで言う規則になっていた。たとえば、


四三七十二は30÷4=7余り2を表わす。十はゴロで余りを示す。

では、四一二十二は?        10÷4=2余り2 ですぅ。

ピッタリのときは天作とか添削をつける。二一添削の五(10÷2=5)




これらをゴロで全部覚えたのは必要だったから。4進法の単位間の
値段の換算とか米や諸物価の相場の換算、さらに金や銀の為替レート
みたいなのが毎日変わって貫文に換算されてたり、さらには小判の
金の含有量が年度によって変わってたりと商人は在庫管理だけやって
りゃいいというもんではなかったのです。番頭さんもたいへんだね。




だから、大きな算盤を縦横無尽に駆使してすべてのソロバン勘定を
合わせられる番頭のみが大番頭になれたのでした。ああ、疲れた。
ま、何れにせよ、当時の江戸は先物から為替から何でもあったから
明治維新以後は漢数字をアラビア数字に変える位で、すぐに簿記
システムなんて取り入れ可能な状態でした。下地がなければスグには
真似もできません。




で、計算が上手いと数学が出来るのか?っつうとこれがそうでもな
い。漢字をたくさん覚えている人の文章が上手いかどうか、と
同様な関係がありそうですね。




落語の時蕎麦はななつまで数えて時刻を聞くと「九つ」との答えで
八つを飛ばす。それで16文が一文へって得をすると。ニ八蕎麦は
16文で蕎麦が八割の安い蕎麦。三五夜中が15夜だと誰でも分か
るレベルの高さが経済の底にあったとは、社会は一夜にして出来ず。
つうとこですかねえ。良い点も悪い点も。では、おやすみなんしょ。


おや、TV見てからにしようかな。