いたずらに徒労で、勇ましくない価値観など

こんばんは。低気圧のはざ間の曇りときどき薄日さすやや寒い天気。
明日はまた朝からあめらすいな。移動性低気圧とか。
今日もまた鯵のなめろう作っちゃったよ。余った生姜、小ネギが
あったから、安易に決めた。




何事にも安易、あんい、アンイ、容易きに安んじる怠惰な性情。
決断が疲れる間抜け。そう云えば、占いは際限のない無駄な思考を
停止させ判断のみをもたらす一つのツール、手段であーる、とかの
慧眼に接し、投げた賽でことを決めるのもお御籤できめるのも、人生
の知恵であろうかと、くどくど考えないで安易に生きる事にしたのだ。






しかし頭の片隅には、理由なきことで事を決するのはイヤだな、とか
の気持ちも薄っすらと残ってはいますね。なんか際限なくズルズルと
安易に流されて行くような不安もあります。聖人の風呂の水を飲んで
病が治った(と思い込んでみた)り、イワシの頭に健康を委ねたりと
理由無きことどもは際限がありません。でも運を天に任せる効用は認
めるんですがね。玉虫色の風景。






神様も価値観を統一する為には有効にお働きになっていたとは思い
まするが、ニーチェに頃されてしまい、人々は相対化の地獄に苦しん
でおりまする。すなわち、絶対的な基準を喪失したことにより、
価値観、世界観は多元化し、しかもそれらは相互に比較不可能に
なってしまいました。絶対的な正義なくしては、もはや多様な
異なる価値観、世界観を較べるべき共通の物差しなどは存在しないの
ですぅ。






ですから、我々は民主主義とか多数決とか三権分立とか人権とか
イロエロな仕組みを考えて、なんとか相対的な世界を調整して行か
なくてはならないのでしょう。また、不完全なカラクリは絶えず
際限なく見直され続けるのでしょう。疲れるぅ〜〜






でも、神様がいたって、その教義や解釈がたくさんあれば基準とは
成り得ないんだから、そもそもこの世の事共、人の生き方や世界の
意味について、根底的に異なる価値観は解消されえないことになる。
まず、このアキラメから全ての物事を考えざるをえないな、つうのが
玉虫の世界観な訳でやんすよ。情けないけど。





そのうち、思考によらない思考つのを試行してみようかな。音楽とか
曼荼羅とか言うことになるのかな。テヘッ
ではでは、思考は悪だっつう結論で、疲れ果てておやすみなさいまし。