人間観に少しは進歩があったかも

こんばんは。昨日と同じような薄晴れ。日差しが弱々しい。
でも気温は着実に上がってきた。もうすぐオタマも孵化するかな。



どんだけ頭が良さそうな奴でも専門外のことになるとまるでバカに
なってしまう事があるから注意すべきだ。と昨日言ったが、これは
確かにある。では専門外のことに言及してはいかんのか?つうとこれは
そうでもない。ただ偉そうに決め付けなければいいだけで、普通の人が
どんどん発言しないと、専門バカに蹂躙されて民主主義が成り立たなく
なってしまうから、疑問の声はいくら発してもかまわないと思う。




この際、気をつけることはあの人が言ったことだから、とかのハロー
効果に幻惑されないことで、冷静に自分の頭で考えられるのか、つう
ところですね。でもデータそのものを捏造されることもあるから、イロ
エロな意見に率直に耳を傾けることが重要でしょう。イデオロギーとか
ある一つの価値観に囚われると暴走しやすいという一因でもあります。




でも最近、人間つうのはいいな、高潔も下劣も利巧も阿呆も取り混ぜて
全部ひっくるめて一人の中に含まれているのだし、悩みや苦しみと、
しやわせや喜びは結局、同量なのではないか、と一種の「保存則」みたい
なものが信じられるようになってきた。そこで、人生塞翁が馬でやんす。
終わりも始まりも無い永遠にあざなえる縄のような世界観。水面に湧いて
は消えるあぶくのような人間たちがカワユく見える瞬間です。




で、日常生活に戻りますれば、傲岸不遜なゴーマン、高飛車人間はこころ
から嫌だと思いますです。できればお近づきになりたくない。しかし、
こういう方もホントは可哀想な人なのかな?とふと心をかすめる余裕は
出てきたような気はします。




ま、しかし芸能人とか政治家とか世間に過剰に露出している人々は、
とても大変だとは思いますね。いくら表面を取り繕っても、その本心が
つい言葉の端々に出てしまいますから、一時も気の休まることが無いの
では。失言を無くそうと思ったら心を入れ替えなくちゃならんからね。
ではでは、今日も取り留めもなく、おやすみなさいまし。また明日。