10月24日(日) ホントの専門家とは

 
 こんにちは。曇り。ちょと風が冷たいかな?


 今日は久しぶりに釣りに行ってきました。若洲海浜公園
防波堤。潮目が悪くって余り釣れませんでした、ちびっこ
を2匹。でもボーズの人が多かったから、これで吉としよう。
焼いて食べても煮て食べても縮んで無くなりそうなかわゆさ。








 最近つくずく感じるのは専門家とは何か?つうこと。
くどくどと幾ら説明しててもさっぱり分って貰えない漏れの
ようなのはホントの専門家ではなーい!わだすの拙い経験論
を少し披露してみよ。











 真の専門家とは、その専門知識を駆使して愚民を煙に巻く
者ではな〜い!そもそも専門家間ではその使っている言葉
さえちげ〜のだい!イミフ。











 専門家はそのことの、そもそもの根元について絶えず自らに
自問しているのですから、全くの専門外の人にもとても分かり
やすく説明でけます。この辺が偽専門家とホントの専門家のリ
トマス試験紙ですね。だから、素人のほうがホントは威張って
エエのれす。何しろ君らが基準なのですから。タッハ〜!













 漏れの言葉を聴け〜〜〜♪ なんて威張ってるのは、大抵
似非専門家ですね。漏れの言葉が分らんのは、てめ〜らがアホ
な所為なんぢゃあ〜〜〜!とか。プ お子チャマ的閉塞空間。













 それと西欧的なゴーマンさもダメれすね。類人猿すらバカ
にします。チンプやマウスどころかお魚だって虫だって、いや
いや、植物だって微生物だって生きてるものならなんだって、
外界を認識し、生を楽しむし苦しむし、量や数の概念だって
ちゃんと持ってるんすよ。そうでなくっては量の多い食糧の
方に寄って行かないし、敵の数が少ない方に逃げていけない
じゃん。つまり生き物の認識の基本は共通なんざんすねぇ。プ










 しかし、人間は其れを体系化したとこが特殊かも。ユークリッド
の「幾何原論」のように少数の公理(当たり前田のクラッカー)
から壮大な体系を組み上げると。でもその定理20に「三角
形の一辺は他の二辺の和よりか短い」つうのがありまふが、
こりは豚にでも分るのですね。なぜなら、他の頂点にある餌
を食べに行くとき、真っ直ぐにその頂点に行かずに、もう
一つの頂点を通って食べに行く豚はおりまへんがな。
あそこの水を飲んだのは必ずしむ。漏れがその水を飲む。漏
れもしむだろう、と普通の動物は考えるからその水は飲みま
へん。これをアリストテレスの三段論法と言わずして何と
するぅ。









 ま、進化論によれば全ての生物は連続してんだから、あん
ましバカにしてはなりませぬ。でも、少しずつ複雑化はして
るんだろうな?これが物理とは正反対の見方。熱力学の第二
法則では、世界は放っておけばエントロピーが増大して均一
な単純化した世界になるんだと。物理界と生物界を足し合わ
せれば、丁度エエあんばいにバランスするようなキモス。










 ブ。ワカリニクカッタデショ?ブブブ











 さて、チビッコを焼いて食事にしよ。さばら。













追記:ふと気が点いたから追記す。(最近こういうパタンが
多いっす。場当たりに書いてるからね。)
スピノザの「エティカ」って本が哲学なのにこの「幾何原論」
の方法論を使って、当たり前の公理から諸々の定理を証明する
って形をとってるのですね。だから幾何が好きだったしとには
分り易いかも。こういう方法論の横断的な伝播は良く権威付け
にも用いられます。心理学の説明に数式を使ったり、経済の
分析に高等数学を使ったりして煙に巻くと。














追記2:過保護とわ。
今、一石さんの眼って番組を見ながら飯食ってたら湧いた感慨。
足の専門家。専門メーカーが如何に足を上手い状態で使うかっ
て研究をしてますが、異能忠敬さんだってわらじで4千万歩だし、
走る民族だってゴムの草履で200km走るし、アベベだって
裸足でオリムピックを制するし、で何事も常識でわ計れませんねと。
過保護にすると却ってそのものを阻害するってな見解は必ずし
も偏屈人間の固執ではあーりまへん。植木だって芽を上手く摘
めば良く茂るし、麦だって踏めば伸びます。何事も固定した
考えは良くありまへんね!ってな感慨。どもども、ドモドモ。










ドモ