突如、認識論でオジャマしますよ


こんばんは。快晴だが風が無く遠方は澱む。雪の後で寒気つよし。
歩道がデコボコに凍っていて、きわめて歩きづらい。山では突然の吹雪で
行方不明者がでてますね、スノーボーダーとか。




そもそも、物事の仕組みつうか人間の認識の仕方というのはフラットでは
ない。ヒエラルキーつうか階層化されています。物事がすべてフラット化
されてたらホワイトアウトつうか何も分からないし分けれない。何処かに
些細な差異を見つけてグルーピングし、ラベルを貼って意味づけして、そ
れを繰り返していく。だから、レベルが上がるほど全体を見通せるという
構図。



例えば、その1:プログラムは極めてフラットなバイナリーのビット・
パターンを眺めていても何も分からない。アセンブラーからその上位の
構造化言語へとどんどん階層化して、上位言語ほど全体を把握しやすく
なってくる。



その2:個人、戸主、町内、区、都、国とか階層的にまとめて行政。


その3:分子、アミノ酸、タンパク質1次構造ー4次構造(多量体)


その4:免疫系のミクロクラスター構造や鍵型情報伝達システム。


とか、イロエロ思いつきますが、一瞬にしてすべてを把握するよりも
階層的に順番に認識していくのが効率的、つうか凡人のサガです。
で、この階層化の巧拙が思考の質を定めている、ってとこはあるよう
希ガス。上手い纏め方をしたら、以後下位概念の詳細はカッコに
入れて、ひたすら上位概念の構築に専念するとか。



こういう思考パターンというかテンプレートの品位が人物の品位にまで
及んでいるような気がした寒い寒い日なり。元の素質は均質でも、アウト
プットに差がでる所以かも。ではでは、さようなら。またあした。









とか言ってから、一つ感想。商品その物の価値よりも、付随する触感で
好悪が潜在意識的に決まるようなことは、僕自身の経験ではありますね。
例えば、トーフのパックがスルスルと機嫌よく剥がれるのはグー。
こちらから切れますとかいうパックがいくらやっても切れないのはダメ。
何気ない操作性の良し悪しが、商品価値を決めることは意外な盲点。
コスト的には大差ないが、ちょとした気遣いなのかなぁ。では。