7月24日(日)なでしこにスポーツジェンダー学を垣間見て

 こんにちは。うす曇りのち薄晴れ。そんなに暑くはない。
み〜〜んみんみん、蝉の声。汐留に行ったら子供向けの催し
をやっていた。そろそろ盆踊りの季節ですね。










女性の強さ見聞:

・釜山の魚市場にて:おばさん同士が物凄い罵り合い。おじ
さんたちは身を竦めて遠巻きにしてる。
・横浜中華街の裏道にて:おばさんとおじさんが道端で大喧
嘩してる。そのうちに箒で追い回されてるのがおじさんの方。
シンガポール、香港、台北の女性は強いと言われてますが、
その強さには多少の違いが見れまする。
シンガポールの女性はスマートに強い。台北の女性はしぶ
とく強い。香港の女性は何しろ強い、男がかすむほど強い。













 一方日本ではまだまだ女性の立場は弱いですぅ。
大企業における女性管理職の割合は8%弱。それで女性管理
職”がいる”企業の割合なんて変なのを発表している。海外
だといるのが当たり前なのに、日本では未だに1/3の企業に係
長以上がいないんだと。んでフェミな人はこれは「非対称的
かつ階層性をもった差異化による構造的なもんだ!」と断じて
いまふ。















 そしてそのそもそもの大本は古代ギリシャに発祥する女子
禁制のオリンピアード体育会系にあり、これは日本のお相撲
も同じかも。その後近代オリンピックにおいては徐々に女性
が参画できる競技が増えてきましたが、当初の目的は優雅な
ふるまいや身のこなし、美しい姿勢などが目的でした。現在
ではボクシングなど極少数の種目以外は女性の種目も増えて
きましたが、シンクロ、新体操などに身体のジェンダー化が
残っておーる!とフェミな人は叫んでいまふ。
















 さらにヒステリックに叫ぶのは、近代スポーツは一流/二流
、男性/女性の差別構造を構築しておるのだあ!と。これは
選手が半々なのに女性役員が10%しかいないにあらわれて
おーる!と。更にメディアが煽るジェンダーとスポーツ。女性
アスリートをジェンダー化し、競技能力を矮小化する表現方法
が氾濫していると非難する。


いわく:
・呼称や名前にニックネームを用いる。
・娘や妻、母などのジェンダーロールを含む言葉を用いる。
・身体を断片化し非人間化する。
・女や女子などの冠詞をつかう。
・ソフトポルノ化された女子選手写真。
などなどその論調はとどまりたるところなーし*1



 そしてこのような論調が全盛なのは、男性ジャーナリスト
ばっかしだかであーる!つうとこだけは幾分納得でけるかも。
なにしろ女性ジャーナリストの比率は9%でしかなく*2、デス
クに至っては1,5%しかいないのですからねえ。プ














 ま、異論争論多々あれど、統計数字に出でたる現実に鑑み
れば女性の社会進出が遅れている構造的な問題は明らかであ
り、スポーツを通したジェンダー差異化と階層化、非対称性
の形成は明らかであろうと存じまする。(飯田のお貴さん語
録参照)











 なにはともあれ仲良くやっていきたいとは思いまするが、
それは優利な立場の者から言うべきことでもないのかなあ。















ハンセーイノサンセイナノダ

*1:7月25日。いま読み返してたら追記の必要を感じたり。すなわち、男性に置き換えて見ると、このような言辞は殆ど無いつうことだす、「父や夫でありながら、このような偉業を達成した!」とか。

*2:これは偶然にも大企業の女性管理職比率に似ています。