冬至の夜のトウヘンボクな雑感

こんばんは。曇りのち小雨。耳が寒い。今日は冬至。惣菜の南瓜を食す。
年賀状プリントは前に終わってたのですが、本日半日かけてひと言ご挨拶
を書き終えた。あした早速、丸の内の中央郵便局まで持って行こうかな。
あー、なんかもうセイセイして今年が終わったような気分だ。




世の中には人の悪い人がいて、赤ちゃんをからかったりする。
たとえば、お人形にわざと頬ずりしたり話しかけたりする。すると、
それを見ていた赤ちゃんは「アーアー」と大声で叫んだり、泣き叫んだり
する。お母さんの気を引くためだ。つまりシットは自分の生存を確保する
ための本質的なものなのでは?とか思ったりした。それでは、恋人の友達
に嫉妬するのはなんだろ。





ビーリーフをじっくり観察してスケッチなんかしてみる。ロロロッサ、
レッドマスタード、クレソン、ケール、ルッコラ、ビート、ミニホワイト
の七草だった。全部でどれくらいの種類があるんだろ。




政治とか経済とか価値とはとか人生とはとか書いてると、なんだか自分が
偉くなったように感じる。今日の食べ物は何にしようかな?とか考えてる
より高尚そうだなと自分を慰めたりして。で、「富ってなんだ?」
お金といってしまえば簡単なんだけど、堀ヱ門じみちゃうしね。



経済活動は富を生み出すものか?
富とは人が欲しがっているもの総て、あるいは人に何らかの幸福感を与える
ものすべてと定義すると人とはどの範囲かという事になる(個人的な楽し
みから公人、法人まで)。労働によって作り出されたものが富なのかな?


昔は衣食住など直接生活にかかわるもので特にお米や羊などの主食が富の
象徴だった。次に稀少金属や宝石、貝や珊瑚等の宝飾品かな?そしてこれ
が交換手段としてのお金に使われたが、このときの交換できるものは何ら
かの公的な色付けが必要なのかな?例えば主婦の家事はお金にならないが
、家政婦はミタはお金になるとか。


で疑問は地価、株券、証券、各種先物は富なのか?またそのふくらみと縮退
で富は変化するのか?弾けなければバブルでみんな幸福なら、ハジケないバ
ブルの仕組みを考えるべきではないのか。センティメントで富が作れるのな
ら風評、広告宣伝で富を作ることも肯定されるべきなのか。


血液さらさら詐欺とかコシヒカリとうのブランド食品詐欺も消費者が喜べば
富を作ったことになるのか。需要創造活動は富を作っているのか。
恐怖を煽るのは需要創造の手段で詐欺と富の創造とは何処で区別できるの
か。絵画とかの芸術品の価値は批評家によって捏造できるのか。ゴッホ
生きていたときは四千円でたった一点売れたのみ、死後何億円の値が付くの
はバブルなのか。富とはなにか。貨幣経済や資本主義は本当に富を配分する
仕組みなのか。


う〜ん。纏まらんかった。なにしろ基礎的な学力が極端に不足しているゆえ、
言ってる事がしっちゃかめっちゃか。為替とか金利とか流動性とか信用とか
金融政策にも興味がありまくり。ではでは、よろすく。




さて、柚子湯に入って寝よーっと。ユズ2個ふんぱつ。もやすみー。