遺恨つうのが屁理屈の根源にあったりして

こんばんは。雨のち曇り。寒い(とか言ってても慣れないから寒いので
あって、ホントの寒さはまだまだコレカラダロ)。


年賀も出し終わって、久しぶりに精神的な圧迫もとれ、伸び伸びと休日を
過ごす。一人ひとりの顔を思い浮かべながら気の利いたコメント付けるの
も結構気疲れするものなのです。そーいえば、俺は子供の頃から明日出来
る事は明日へ伸ばそう主義だったな。夏休みの宿題なんて早く済ませて、
伸び伸びと残る休みを過ごせばいいのに、期間中に終えた験しなーし。



帰国してからの俺は律儀に「日本の習俗」をこなす人になってたが、さて
クリスマスは如何したものか。街へ繰り出してドンチャカやるのも”日本”
の習俗のような気もするし、さて起源は?と問われれば中国の節句と変わ
らんような気もするし。一応、街に出てケーキくらいは買ってくるかな。




付近を見てたら実名、顕名、匿名てな話題があった。これは実を言うと
私がネットを始めて以来の秘かな懸案であって、結論は未だに出ていない。
今回は大学の粘着教授が同じ大学の院生の実名を暴露(詳しくは示唆かな)
したもので、実名主義者がストーカー的に論争相手の実名を示唆して良い
ものかどーかがネット界隈で取りざたされている。



自由にものが言えるということは何物にも代え難いが、一方言論の責任と
か一貫性が担保できるのか?というときに、ペンネームならえーんでねえ
の、つう論調がメジャーのような気がした。社会的な属性、いわゆる学歴
、性別、所属等は一貫性の担保にはなるが、権威付けにも利用され得る。
また言論以外で生活しているものにはその発言が日常生活に影響すれば、
自己規制が働くという言論抑圧はあるだろうとは思いますね。トーゼン



disられたチキの人は一部の属性(学歴、所属、写真等)を既に公開して
いたらすいから、いートコ鳥すんな!とかいう非難は一部にあったのは
弱みですが、時の政権ではないのれすからイヤがる事を言うのはヤメた
ふぉーがええんでねえかい?リトルやのー先生。とか書いてて突如思い
出したが、むかしイザヤ弁出さんとかいうユダヤ風の匿名者がいて、その
方の実名は業界含めて皆分かってるのに、あえてバラさなかったな。
つーか、知らない振りも相身互い、武士の情けじゃ、みたいな。そういう
時代の風潮ってのは確かにあったのだ、とは思いますですね。



顕名で平面世界を生き抜いて行きたい人にはセカンド・ライフじゃないけ
ど、第二の人格を大切にしてあげてもいいようには思いますねぇ。それを
自分の価値観で無理やりこじ開けるのはスカート捲り以上の大罪ではねー
のかなあ。実名で言いたい事をいってる人はそれで良いし、実名で言いた
いことを言えない人もそれでいいから、他人の第二の人権にもちょとは
配慮してほしーぜい。



あ、ほんとの匿名は良くも悪くもそれなりに赤裸々に人間性が顕われる
から、今のトコは許容してるけど、倫理の欠片もないよーな言動が目立つ
ようにはなってきてまする。小心(シャオシン)=気をつけて=危ない=
ハブ ア ナイ=Have an eye! ま、経歴とか権威にしか頼れない人も多い
けどね。



新美南吉の「ごんきつね」もいいな。動物たちとの魂の交流と共鳴とか。
安房直子の「きつねの窓」も泣かせる。新美さんは30歳、安房さんは50歳
で亡くなってるな。神に愛されし人は早世とか。ではでは。