虎は死して皮残し、人は死して何残す

こんばんは。お元気ですか。
今年は風邪(ふうじゃ)とかノロとか流行ってますからお気を付けてね。
天気晴ればれ、すこし暖か。夜半、放射冷却で冷え冷え。




つらつらおもん見るに、一対の遺伝子から人間が発生したとすれば、
こころとかを含めて唯物論に傾かざるを得ませんねぇ。「字」とかも親に
似ているし、これも先天的なものが多いでしょう。サインがIDを代表し
ている事もこれあるにつき、字は人なりですねぇ。




しかし生まれてからのイロエロな影響で人格つうか脳の構造そのものが
作られるということはありますから、これらが精神的な財産になって
赤ちゃんから大人になるまでの間、いや大人になってからも精神を形
作っていくということも事実でしょう。




ですから我々は何千年も前からの贈り物、偉人の文書とか文化遺産によっ
て作られているということもできるのです。我々が生きたしるしも、
ささやかながら、周りの人々への影響として残されて次世代へ引き継がれ
ていくのでしょう。こう考えると、われわれは決して一人ではない、
大きな流れの中で育てられまた継承して行く存在なのではないのかと、
それが脳の可塑性の中にも物質的に刻み込まれていくのだと実感できる
のではないでしょうか。




ですからブログの中で生きている人は今も我々のこころの中で、脳の構造
の中で本当に生きているのだと確信できます。これが我々の本当の連帯感
だと思うのですがいかがでしょうか。



う〜ん。我々を十以上使うのは難しいな。上の文でもまだ五つだ。でも、
「人が生きているとは何か?」と問われれば、生身の存否、時間空間に
かかわらず、こころの交流ができるということだろうか。文や絵画、
音楽などによって影響を与えることができればそれらの人々は俺にとって
生きているということなのです。虎は死して皮を残し、人は死してHN
残すとか。ではでは、ヨァウヨ シモモヘ!おやすみー。




(ほんとに雑感。弁当には適わないとおもた。あの梯子丹にトラバ打ってた。
俺には百年かかってもぜってー無理。)