夢好きが夢を語る人をかたる

こんばんはー。今日は薄晴れ、後うす曇り。はっきりしないお天気。
日本には野鳥が500種位いるそうですが、ボクが東京で見れるのは
50種くらいかな。今日面白い鳥を見つけた。コチドリ。足を交互に
物凄い速さで走るやつで忙しない。ボクの直ぐそばまで走ってきて、
また走り去っていった。今頃、東京で見るのはめずらしいな。



僕も夢を見るのは好きだな。「世の中に寝るほど楽は無かりけり
浮世の馬鹿は起きて働く」とか嘯いてみたいものだ。現実と夢とは
明らかに違うものではあるなあ、と思いこそすれ現実も永遠不変では無い。
過ぎし日を思い返してみれば、霞がかって何やら夢のような心地もする。



「現実というものは、我々が執着するようなものではない。現実も夢の
ようなものと見て、毎日、毎日をあるがままに暮らして行く。夢を夢とし
て自覚的に生きる。そして自然の中に自分を解き放っていく。」というの
良寛さんの夢の生き方。親鸞とか道元のように衆生済度にこだわっては
いないけど、自然に集まってきた人々の気持ちを安らげる自然の教化は
こうした自由さから来ているのでしょうか。


夜夢都是妄  夜の夢は都(すべて)これ妄(でたらめ)である

無一可持論  一つとして持して(取り上げて)論ずべきもの無し

当其夢中時  其の夢の中の時に当たっては(夢を見ているときは)

宛兮在目前  宛として(あたかも現実であるかのように)目の前に在る  

以夢推今日  夢を以って今日(現実を)推しはかってみると

今日亦復然  今日(現実)も亦そのようだ(夢のようなものだ)

           良寛(山本英蔵) 号して大愚


鋭くはないが英質あり。しかしそれで名利(名誉や利得)を求めず、物乞い
で一生を終えるが、その無為自然な生き方に感化された先人は数知れず。
でも荘子のような理詰めの無為自然ではなく、情の人つうところが日本人
の感性に馴染むのかも。俺もすごくなじんでるYO−。では、休みそろ、御免。