判断の効率化で他人に頼る得失

こんばんは。晴れ、一段と冷え込む。コートの人多し。
最近、独り言をぶつぶつ話してる人をよく見かける。
老若男女まんべんなくおりまする。しかし実際に増えたのか、
俺が興味を持って注意を向けるようになったのかは分からない。
いや、閉じた心の中で、誰とどのようなお話をしているのか、とても
気になるのですよ。だって、僕のブログとよく似てるじゃないですか。



今日の気になったこと:
料理本の校正ってどーやるんだろ。「大さじ2杯→3杯」に間違えても
誰も気がつかないよね。実際その通りに料理して試した人じゃなきゃあ。
書いた専門家はその通りにやったのだろうか?プロならさじを使わないで
味を見ながら長年の勘でやると思うんだ。いやね、ときどき本の通りに
やってても、妙に甘かったり、塩辛かったりすることがあるので、これは
俺の味覚の所為ばかりじゃねーな!とか疑問におもったのれす。




人はすべての事柄に関して、自分の脳みそで考えれるほどヒマじゃない。
ってか、そんな時間はありません。ですからブランドとか専門家とか
老舗とか企業とか政府とか官僚とか文化人とかタレントとかアルファとか
TVとかラジオとか新聞とか学者とか頭のいい友人とかに頼って、大部分の
判断を効率化しているのです。では、何がそれを保証しているのか?
基本的には何の保証もありません。しいて言えば、過去の実績と発信者の
プライドくらいかなあ。信用とか信頼度にて総括されるもの。




で、近頃この信用担保物件が著しく毀損されちゃってて、ぜんぶ疑って
かかるものですから、俺の精神生活の効率が悪くってしかたがない!
科学的な事実って言っても、研究者を信用するのか事実を信用するのか
どっちだい?事実ったって全部自分で実験再現できるものではないし。
悩ましいねえ。やはり人を信用しないと先へは進めないような気もする。
でもその人もねえ。頼りすぎると姉歯っちゃうし。やれやれ



そうだ、サブプライムももとはといえば評価機関の格付けがトンデモだっ
たんじゃねえの?ミシュランガイド東京版の格付け結果はどー評価され
ますかねえ、江戸っ子に。とても俺なんざが行けるような店じゃないと
は思いますが。とネガコメかまして、おやすみなさい。