金のかわりに米つうのも良さそうですが

こんばんはー。晴れ。黄色い秋の日差しの中、影がだんだん長くなる。
俺も何処かに行きたいなあ。紅葉がきれいだろうなあ。とか思いますが、
今回の風はしつこくて普通は鼻から抜けるのですが、振動してしまって、
また肺に戻ったりまた鼻がつまったり、極めて引き際が悪いのです。
しかたがないから、都内の紅葉めぐりで我慢しようかなあ。




日本でも統一貨幣が出来たのはようやく江戸時代になってから。関西は
銀貨、関東は金貨本位制だったとか。でも実際の価値の基準はお米で
武士の俸給は全部これで換算されていた。ま、これさえあれば最低限
生きていけるからそれなりに意味はあるのかも。金があっても食べられ
ないからなあ。一人一日3合食べるとして、一年で約一石。加賀百万石
は100万人養える領地ということか。




で、武士の一番下は三両一人扶持、いわゆるサンピン、一両で一石の換算
だから約三石取りです。で、生活が豊かになってくと米価に較べて諸物価
が上がってくる。すると米で給料もらってる武士は貧乏になってくる。
そこで「改革」ですよ。いっぱいあったが享保改革(吉宗)、寛政改革
松平定信)、天保改革(水野忠邦)の三つが有名。経済成長→武士だけ
困窮→改革(緊縮財政)→また成長の繰り返し。ですから改革は庶民の
締め付けでいつでも評判が悪い。



で、落書(らくしょ)をそれぞれ三つばかり。
享保:「春すぎて 夏までとらぬ御借米 質を取りてふ 頭かく山」
(春も夏も給料がでないから質で生き延びてあたまを掻いてる様)
寛政:「白川の清き流れに魚すまず にごる田沼の水ぞ恋しき」
(白川藩の定信の緊縮ではダメ、田沼の成長路線のほうがイカッタ)
天保:「ふる池や かわら飛び込む 水野うち」
(水野老中が免職になった日、屋敷に大勢の民衆が瓦などを投石した。)



このとき「馬鹿物」という絵入りの落書もあらわれ、「頭に海角(かい
かく)という角があり、手足に小判と庶民を掴んでいる」などと説明を
付けている。揶揄、嘲弄というものはいつの世でも同じような物ですねェ。
そう言えば、かぜを引いてる間に積んどくが20冊を越えてしまったなあ。



しかし、経済つうのは難しいねえ。物と心の織り成す極めて人間的な物
みたいだが、また一つの生き物のようでもあります。では、おやすみー。