8月12日(金)現在を未来の出来事に質入れして、どないすんじゃい!

 こんにちは。引き続き真夏晴れ。遠方は湿気にけぶる。
真昼の決行(外出)は結構堪えます。ポカリスエット1リットル
もって出ないと氏むかも。真昼の太陽との決闘。














 自己矛盾:


 信用格付けの信用が揺らいでいる。って、こりはサブプラ
イムの前からそーだったな。人は悪事を為す時も、何かの基
準(言い訳?)に頼るのぢゃよ。プ


 書いたものしか信用しなくなったら、世の中にどんだけ書
面が蔓延ることか。「人の一言、金より重し!」vs「言う
だけはタダ?」



















 決定論


 原因があってその結果があるのだ、というのは普通の因果
律。しかし、未来のことを想って現在が縛られている状態は
果因論。こりも先の事を推論して事を計画する人間の宿命。
それで先の事を思い患い杉て現在が身動きでけなくなると。














 でわ、こういう場合はどーなのか?
「たとえ世界の終末が明白であっても、自分は今日リンゴ
の木を植える。」(Und wenn Morgen 
Weltuntergang ware,ich werde am heutige 
Tage doch Apfelbaumen pflantzen.)



 これにはイロエロなヴァージョンがあって、明白→明日とか
自分→あなたとか、今日→が無かったり、木を植える→種を
蒔く、とか・・・。(この謂れについては後述。)




 この「明白」は実は「明日」の誤植らしいだけど、明白の
方がピッタシくるようなキモス。明日じゃ、幾らなんでも木
なんか植えないっしょ?でも、「空飛ぶ鳥は、などて明日を
思い患おうか」つう人間の先読み疾患を諭す文言もありんす
から「明日」が正しいのかな。














 例えば、アリンコなんかは、今晩世界が滅びるとしても、
セッセと働いて餌を集めるでせうね。先を考えないで現在に
集中しているから。人間は先を考えてイロエロ計画でける様
になった反面、先が絶望的だと現在も絶望しちゃいますぅ。
ねっ!物事はみんな裏腹でしょ?

















 それを諭して、未来は単なる可能性なんだから、それに捉
われて現在を蔑ろにするのは後先逆ぢゃん、つうのが冒頭の
格言でやんすよ。しかし、つらつら自己反省するに、明日、
世界が滅亡するならリンゴなんか植えずにボンヤリとしている
ような希ガス。できれば酒池肉林もイイかも。今までで一番
面白かった本に熱中するとか。そして熟睡してるうちにアボン。
そして「最後の瞬間を支えるものは希望である」とするなら、
それはリンゴじゃなくって天国のやうなキモス。リンゴって、
「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」つう
ような、知恵の象徴ですからねぇ。



















 ま、色んな想像がでけるとこがこの格言のエエとこかなあ。
それでも決定論的な先読みで、現在を毀損したくはねえ!って
うっすらとは思いますね。でも宇宙的な決定論は何とかなら
んもんすかねぇ。これだけは何十年先の軌道まで計算でけち
まいますから、明日巨大な隕石が地球に衝突するなんて予報
が出ちまったら、それこそ未来の恐怖に現在は浸食されちゃ
いそです。



















 でも、日常において、明日しむかも知れんから何もする気
がしない、なんてそれこそ現在を未来に質入れしてるような
もんです。



















 で今日書いた格言は実はひ孫引きみたいなもので、その
原典の真実は如何に!てのが実におもすろかった。けふは
ちかれたからまた後で。諸君もちょと調べてみたら如何か?
ぷぷぷぷぷぷ 













ガチョ~~~ン