体の運動と頭の体操でバランスとれたかな

こんばんはー。今日もとても良い天気だったのでマイカーで小さな旅を
してきました。神田川をどんどん、どんどん遡って行って、高田馬場から
哲学堂を経て妙正寺公園に至りました。次はもう一つの支流、善福寺まで
行ってみようかな。その次は本流をたどって井の頭公園まで。んで、その
次はずーっと遠出して神田上水の源流の玉川上水羽村取水堰まで行ける
かな。いつになるかな?いつかは行ってみたいね。




帰りに哲学堂公園で一休みして哲学のゆうべ。いわく現象学的な態度。
「一つの自我にとって認識可能であるものは原理上すべての自我にとって
認識可能であるハズである。”原理的な共体験あるいは追体験の可能性”
現象学的直観の真理性を保証することとなる。」のかな?
とにかく自らの直接的体験に忠実であることが「現象学的態度」なのれす。
自分に「見える」ものを真と受け止める態度を保持し続けることです。




つまり、徒に錯視錯覚とか小さなことに囚われて、また自分に見えている
物は実は他の人には違ってふうに見えるのではないのかな?とかいった
懐疑的な態度は何も生み出さないし、生産的な思考でもないのだと言いた
い訳です。う〜ん、たとえて言えば、何の予断も推測も主観もまじえずに
ただタンタンと記すカルテのようなものなのかなあ?イマイチ分からん。




「物と言うのは我々に何かをするように誘いかけている」つうのがアフォ
ーダンスざんす。つまり「○○がXXできるという関係性」をカタカナ化
したものざんす。世界と行為者との間には無限の関係性*1が存在し、
我々は環境と動物や人間との間の関係性をみつけて、「何ができるか」
を判断して行動をおこすわけです。なんで環境が我々に働きかけんだよう?
我々の中の欲望が環境をそういうふうに誤解させてるだけじゃんか?とか
懐疑的な態度は何も生み出さないし、生産的でもあーりません。イマイチ





鞍上*2の思考は休むにニタリの今日の一日。不思議だ不思議だ、
いや不可思議だとこころに染み渡り足り内面世界。では、おやすみー。

*1:アフォーダンス

*2:マイ・デンドー・バイシクル