中味は無くとも名前は名前だけで自立してるのだあ

みなさん、こんばんは。サルビアの花が綺麗になってまいりました。
この花を見ると子供のころに良くやった花筒を引っこ抜いて蜜をなめたく
なります。懲りない奴だね俺もよ。ぷ




名前というのは不思議なもので、なんでもこれをふっ付けちゃうと、何と
なく分かったような気持ちにさせられます。医学の○○症候群なんて症状を
そのまま名前にしたようなのが多いですね。機能性胃腸炎なんてのもこの
部類かな?でも、名前がつくとほんとに分かったような気持ちになるのです
から不思議だ。名前を付けたということだけで、中味はなくても、少なく
ともその対象を背景から浮かび上がらせて、取り上げてみたという意味は
あるのかも知れない。事物の誕生の瞬間で、後はそれ自体の育つに任せる
とか。




ですから、虫の名前をたくさん覚えるのも意味のあることかもしれない。
その虫の生態とかを詳しく知らなくても、色や形で他のものと区別できた
ということだから、無から有を浮び上がらせたくらいの効能はあるので
しょうね。と、つまらない考察をしてるのは、最近、ものの名前を沢山
覚えてもいったい何の役に立つのやら、とシニカルなこころの呟きが、
少し大きくなってきたので、例によって自己合理化を図っているのですぅ。




名前はこころの内部の整理ラベルみたいなもので、興味がなければ絶対に
覚えません。そうかな?いや、時間がなくなったから中途半端でお終い。
人からおたよりをもらうと舞い上がっちゃって、時間が無くなっちゃう
のです。悪しからず。で、続きはめったにやらないと言う無責任。でも
これは俺のブログだからな!と頭がたかーいタマですた。もやすみなさい。