好きこそものの上手なれ、嫌煙過ぎれば道理引っ込む

みなさん、こんばんは。ご機嫌なフライデイナイトを如何お過ごしで
しょうか。ゆったりとお寛ぎのここと思います。イイナイイナ



昨日は名前について中途半端に取り上げましたが名前は事物認識の基本で
あることは言を待ちません。(ちなみに「言を待たない」で検索すると
「言を待たない」は、待ってもらいたいときにつかう事が多い、とか皮肉言っ
てるブログがトップにあるあるよ。)
「分かる」と言う言葉は「分ける」から来ていて、物事の間に相違を認めて
分割整理して名前を付けることが理解の基本である。とか
すなわち、細かく分ければ分けるほど、理解が進むらすいのだ。む、難しい
っす。しかし一例をあぐれば、四季豊かな日本の自然に囲まれて日本人は
古来より色の名前は優雅にも70以上は持っている。翻って白銀に閉ざされ
エスキモーの人は7色くらいしか表現能力がないらすいぞ。ふむ、この例
では、細分化に意味はある。しかし、色即是空の教えは如何する。全ては
虚しい空なるか。こんにゃく問答に陥りそうだから、ここらで打ちどめーい。





さて、今日のお題はなんだろうかな。ふむ、嫌な事か。嫌煙と禁煙とか。
わたしも帰国時に人間ドックに入って健康指導を受けて、無理やり禁煙マラ
ソンに参加させられて以来、日二箱のスモーカーから嫌煙者に成り下がった。
それまでは、如何に健康被害を説かれようが周りから嫌な顔をされようが、
喫煙こそ個人の尊厳と自由な生き方の象徴であるとばかりにこれ見よがしに
会議中でも吸ったりしてた。「物事はガラス部屋で決まるのだ」とばかりに
わざと喫煙室で重要な相談などをして喫煙愛好家の輪を広げたりもした。





それが人間変われば変わる者、笑わば笑え、蔑まば蔑め、今ではギザヤニ
キライスになってもうた。テヘー 30mくらい前方で歩きタバコをしてる
人がいてもプーンとヤニの幻臭が漂ってきて気分が悪くなる。いや、遠方に
タバコの煙を認めただけでもう気分ムカムカ、もうビョーキですぅ。
近くで吸われようものなら、露骨に嫌な顔が出てしまいます。なんと狭量な
健康命のオバサンみたいになってしまったのだろうか。喫煙者がどれだけ
肩身が狭くそれでも小さな楽しみとして喫煙しているのかを十分知っていな
がら、思いやりの気持ちが一かけらも無くなってしまうとは。人間失格




喫煙愛好家の皆さん、これがわたしの現状です。好き好きが高じると、その
反動でこのような嫌な奴になってしまうのです。ですから少し好きくらいで
ヤメておけば、禁煙したときの副作用が少なくこれ程ひどくはならないかも
よ。くそーっ!また誰かがベランダでタバコ吸ってやがルナ!殺意が湧いて
きた。と言う人間にはなりたくないでしょ?では、すずやかに、おやすみ。