7月28日(水)ワタシが今ここに斯くある確率を思う夕べ

 こんにちは。晴れ。青い空に高層雲。やや風強し。爽やか。
「利根の川風〜ぇえ♪ 袂にぃ入れて〜♪」
先日、そろそろ満月だなあ!とかおもてたら、もう通りすぎ
てた。








 新橋にて会食。って言っても安い懐石もどきにビール。
こういう幾分かしやわせなときに、突如世の不条理を感じる
不条理よ。たっは〜 なんで俺が今ここにいなけりゃならん
のだあぁ〜〜〜〜〜!!!!!11111
別にいてもいなくっても何の理由も無いのだ。あらゆる仮定
のなかでこれが一番確からすいぞよ。いや、むしろ理由が
あるっつう方が不自然だ。












 この様にして、全ての虫にも存在理由はないのれすね。
あると思うのは虫の勝手。でも客観的には何の根拠も感じれ
まへんね。だがしかし、しかししかし、世界が斯くあると
言うのを不可思議に思う心の不思議さよ。







 こういうのを無駄な思考というのれす。思考停止とは真逆な
こころの働きです。思考停止にも意味はあるのだ!っつうこと
なのか?そりは無駄な考え休むにニタリと笑って自己欺瞞の罠
をワナワナと打ち震えながらバッカにするに似たり。つまり、
考えても考えなくっても、この世の無意味さはなんら変らんと
いうことなのれす。でわ、どー生きろと!









 その一つは、盲目的な自然の意思にその身を任せるつうこと
です。つまり本能に従って、快楽的に生きると。多分、これは
全ての生きとし生きるものの生き様でせう。何故か良くは分か
らんけれど、自然とは生命とはそのように創られているような
希ガスる暑い暑い日也。