無理を通せば道理引っ込む

こんばんは。いやいや、ますます、どんどん、むしむし、暑さは、
果てしなく、続いておるどす。もう、開き直るしかアルマイト





野球とかサッカーの審判は神聖にして犯すあたわざるものですから、
判定に不服とてイチャモンでもつけたれば、直ちに退場を命ぜらるるは、
これ世の常なり。であるからして、勝負の行方が選手の巧拙では
あらざらましくして、ひとえに審判大明神に帰するはこれ不可避なり?





一方、装束も奥ゆかしき行司殿は、その精緻なる判定も、ただ「待った!」
の一言にて崩れ去りけるかも。ああ、なんと古めかしい国技の正しく
民主的であることか。とか野球を見ていて思た。





甲子園にもビデオ判定を導入したらどーだろか。乱発はコマルから監督に
3回くらい「待った権」を与えたらどーだろ。生徒に絶対服従ではなくして、
正義は絶対に勝つという道理を身を持って体験させてあげたいのう。おや、
絶対的正義かい?どこかで見たような気もする。ぷぷぷ





いやいや、世の中には遺憾とも仕方の無い「不条理」が満ち溢れている故、
若年のうちから、これらに耐えさせる訓練を施す親心と思えば、
道理に適うかな?苦しいこじつけだが、これ位しか教育効果が思い付き
ませぬ。ま、実際の裁判でも不当判決の例は枚挙にイトマがありません
からね。結審したら「御殿場事件」の裁判資料を勉強してみよう。
ではでは、またね。おやすみなさい。グート・ナハト