目的と手段は、手段と目的は気を付けないとごっちゃ混ぜ


こんばんは。電車に面白い太った人がいた。お相撲さんみたいに
股を大きく広げて二人分くらい席を占有して威張ってたから、隣に
座ってワザと膝を押し付けてやった。そしたらムキになって押し戻して
くるから、ふっっと力を抜いてあげたら、ぎくっと股がさらに拡がって
恥ずかしそうな顔をしていた。可愛いやっちゃ。





前に「目的のためなら手段を選ばぬ」生存競争に強そうな人々は、意外と
多いな、つう感想を述べた事があった。で「手段の為なら目的を選ばぬ」
人々もけっこう多いな、というのが今日の感想。たとえば:
「お金のためなら人生をかけてもいい」とか「お金のためなら結婚して
もいい」とか。お金って人生をより良く送るための手段の一つですよね?





またたとえば:
憲法を守るためなら死んでもいい」とか「憲法を変えるためなら、生活
は後回しでいい」とか。法律ってよりよい社会生活を送るためのツールに
杉ないですよね。また、「憲法に書いてあるから、これは正しいのだ」と
か。三権分立とか基本的人権保護とかが正しいと思ったからから憲法
書いたんじゃないの?みんなが正しいと思わなくなったら変わり得るもの
でしょう。なんでも金科玉条権威主義つうのも考えものです。でも、決
まったことは守るほうが生き易いでしょうね。






ふむふむ。現代の神さまである「お金」とか「憲法」とかにいちゃもん
つけるのもおもすろいが、つぎは板ばさみ状況について考えてみよう。
「孝ならんと欲すれば忠ならず」とか「嫁と母親どちらかとって」とか。
けっこう、こういう状況は人生の正念場として多い希ガス
「さあるべきか、さにあらざるべきか、それは大問題」ではでは、またね。