物事に透明性は必要か

晩上好。暑き真夏の休日を心ゆくまで楽しまれたことと思います。
わたしはというと、午後から定番のプールへ行って眠てました。
チビッコたちのはしゃぐ声が小鳥のようで、白い雲を眺めながら
日本もまだまだ捨てたものではないのかな?と少し幸福な気持ちですぅ。




世の中、裸の付き合いというのはとても大切なことです。でもまわし
まで取るのはこれは行き杉、では何処までが許容できるのか?例えば:
企業活動では、企業理念のみならず営業方針、営業日報、伝票全て、
開発計画、狙う市場、製品企画、生産計画、投入時期、アラユル議事録
、等々表の企業活動はすべて真っ裸にするという案はあります。
もちろん、必要な知的財産権は保護されるという前提下ではありますが
、まさに正々堂々お相撲のように裸で勝負しようではありませんか。





という論調と、匿名・実名論争、はたまた小沢氏の政府丸裸作戦との
係わりはいかに。少し気になるのは「孫子の兵法」、敵に素っ裸に己を
知られちまったら戦いようがないのでわ?との疑問はわくが、そこはそ
れ、何も2500年まえの念仏をいつまでも有りがたがってる時代でも無い
のではないか。みーんなオープンおっぴろげで楽しくやろうぜい!




でもなんか奥ゆかしさとか深みが無くなって、人生がつまらなくなる
様な気がしないでもないな。そんな物はみんな幻想なのさ、人生も世界
も深くもなんともないのさ。白日の下に晒されれば、青竜もただのミミズ
、気がつけよ!とか悪魔の呟きが聞こえてくるよ。





まだ途中ですが、あまりにも単純化思考は考え物という気もしますね。
短期的には名無しが吉、中期的にはコテハンかな、長期的には実名が乙!
てなとこかな。ではでは、もやすみなさい。