3月30日(水)学びて思わざれば則ち罔(くら)く、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し


 こんにちは。晴れ。遠方かすみ暖か。北のち南よりの風。
公園の暗がりから、とつぜん沈丁花のかほり。心ざわつく
うちに、もうそんな季節になってたんだ。花見の宴は半減
して6名の参加。但し、昼間にやることにしますた。
















 ヴェンちゃん、いや弁当氏、いやいやid:finalvent先生
超訳すると「最後のガス抜き」かな?)が「素人がべら
べらと能書き垂れてんぢゃねーよ!」といちゃもん付けら
れてカワイソ。勿論ヴェンちゃんは博識で知的能力も好調
ですから、単なる素人でわありません。理系、文系に係わ
らずアラユル分野に通じてまふ。(ゲーム理論の解説まで
してますからね。尊敬♪)しかし専門家と素人の関係を如
何に構築するのか?っつうテーマは実は現代喫緊の課題な
のれすYO。

















 ま、至近の例としては建築士耐震偽造とか(姉歯物件
よりか九段会館の方が崩れちゃったけどね)、起訴や裁判
という専門家に任されていた領域にも民間のチェックが入
ったり、そのたイロエロな専門分野にも有識者という素人
の委員会がイインカイ?と進出してきますた。

















 しかし学問の方法論はデカルト以来、分けて分けて分析
して、更に細分化して特化する道を歩んで来ましたから、
今では膨大な「学」がでけますた。原発だって20〜30
の学問が係わっているでせう。最近は学際化といって生命
科学や脳科学などで孤立した各学問の統合が図られてまふ。
が、長い間の柵で用語すらお互いに通じないですから簡単
にコミュニケーションが取れまへん。つまりある学者が隣の学者と
話をするときは、お互いが専門家でありかつ素人でもある
ことが多いのです。そういう意味では如何に素人にでも分
るように話せるか、また隣の専門家の話を理解できるのか
が各専門家に問われているわけです。つまり幅広い教養と
考える力が各専門家にも各素人にも要求されてるのです。




















 と言う事で、これからも益々所謂専門家と広義の素人と
のコミュニケーションが大切になってくるのですから、素人
が「ある専門性」に口をだすな!というのは全く当たらな
いばかりか、専門家の独走や独善を許すことにもなるのれ
すぅ。(アフォには話しても分からん、依らしめるべし。
という官僚の愚民化政策もとーぜん間違えているのです。)
マスコミに踊らされているように見える庶民も、実際は
もっとしたたかで政官財を躍らせているのかもね。プ



















付録:コストカッターな社長が入院してもうた。如何に
費用を削減し利益を上げるかに人生の大半を費やし、資材
部長として辣腕をふるった方にとっては、原発廃炉がその
人生を否定するほどのショックを与えたであろうことは、
容易に想像でけまふ。利益を挙げてナンボの民間企業に、
このようなエネルギー供給の大任を任せた国の責任も大き
いのであろう。しかし、民間の効率と活力を国の安全安心
を担うエネルギー産業に生かす方策はイチゼロでは無いよ
うな気もする。新しい民間公共複合組織の制度設計が望ま
れる。って人に投げてるマスコミ風コメント。(民間でも
市場独占的だったから、もっと安全面に金を掛ける余地が
あったと思うのですが、真面目すぎたのかなぁ?)

















ミンナ、ガムバレイ!