面白いか面白くないかは対象ではなく自分次第か

面白い:語源は「白面の貴公子」ではありません。能の白いお面が
暗闇から出てきた、とういう珍説もありますが古代から使われていた
と言われますから、これでもない。




目の前(面:おもて)が明るく開けている(白し)→目の前にある
景色の美しさ→楽しい心地よい→可笑しい、興味深い。なんて連鎖が
古代から近代に至る文献学による定説とされている。




で、この世は面白いか?これは客観的かつ中性的な環境世界は唯存在
するだけで基準は無く、そこに答えはない。で、世界中の各人が
「君はこの世が面白いと思っているのか?」と自分に問いかける問題
だと幕末の奇人がその辞世で詠んだ中に答えはあるのです。




ですから、井戸の中で暮らしていてもココロさえあれば面白さを感じ
ることができるという便利さも人間は兼ね備えております。大海など
は知らなくっても良いのです。人間て奴は便利なのです。でも蝦夷
も江戸でも同じなら、紐育で暮らしたほうが面しろす。




などと博士(ひろし)のような念仏を唱えているのはココロがここに
無いからなのです。なぜならば・・・・・・サッカーのシーソーゲームを
横目で見ながらエントリを上げているから、ココロは当然ここには無いの
です。もう、無理をしないで応援しよう。それっ,ニッポン・チャチャチャ!!!
それっ、ニッポン・チャチャチャ!!!それっ、ニッポン・ちゃちゃちゃ!rootroot



よく頑張った、よくやった、よくやった、よくやった、よくやった!!