7月17日(木)鷹乃学習(タカの雛が飛ぶことを学び習う頃)

 薄晴れのち薄曇り。25℃〜30℃。最低湿度69%。ゴーヤの実が太らず、キューリのように長細いので調べたら「長レイシ」という種類みたいだな。白レイシの実はまだ生らない。





 守るものは心の内にしかないとは:浅ましき世を眺めるにつれ


 何も変化が無い日常性に安住するのは安心である。昨日と同じように今日を過ごせば安全である。定住民族が古代文明を作ったのはこのような安定したハビットすなわち制度が文化を醸成したのであろうか。しかし安定した環境ではすぐに息苦しくなるマグロやサメのような遊泳者がいて、これが文明の交流をもたらした。この二つの性向は誰の中にも有って、常にせめぎ合っている。単に大きいか小さいかの比率の違いに過ぎない。

 「片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊(ひょうはく)の思ひやまず、・・・そぞろ神(がみ)の物につきて心をくるはせ、道祖神(どうそじん)のまねきにあひて、取(と)るもの手につかず。」つうのは芭蕉のみに非ず、誰の胸の内にもあるんだすぅ。日常からの脱出と追跡のサンバ!この違和感(隙間?)すなわち異国性が突破力を生むんだすぅ!このような空虚即ち穴を心中に抱えた者でなければ、偉大な発見などできよう筈も無ーいっ!アカデミアに安住したる凡人共、ココロしてこの言を聞けっ!  と徒に興奮してスマソ。  すかす。存在の中の、空虚なる欠損たる「穴」は実在するや否や?っつう存在論的な難問は確かにあった。ぼくは「穴」は実在だとおもてますがね。オープンってのがイイよな。世界に開いたホール♪

 セコセコと分解に分解を重ねて分かった心算になってるちっこいモデルよか、解釈可能性を内包するでっかいモデルでネット世界を切り開こうぜィ!そこは科学の神髄たるプレディクタビリティの宝庫。直観と無意識との相関や如何に!捉え切れない全体性をどうとらえるのかっ。何を言ってるのか分からないけど全体としての方向性が良く分かる政治家と、ペラペラと一見説得力がありそうだが全体像が靄の中の政治家とで、どっちが誠実であろうかな?


 ともあれ、「正しい」で世界にコミットしようとすれば「紅旗西戎」とならむべし。ここは一つ「面白い」をキーワードにして緩やかに社会参加をしようではあーりませんか♪ 面白さなら人それぞれ、多様性を妨げる独善が入り込む余地は何処にもあーりまへん。ドヤドヤ