擬態

人間も擬態を良く使いますね。
切れる人がわざと呆けてみたり内蔵助、逆に阿呆が悧巧ぶると
小賢しい。悪人が良い人ぶると偽善者になったり、意図を隠して
立ち回る小作人達。恋する人も色にでると恥ずかしいからワザと
冷たくしてみたり。イロエロと人生を複雑かつ面白くしているの
も擬態かもしれない。



しかしこと擬態に関しては我々は虫にはとても敵いません。
虫と植物の共進化とでも言いますか、蘭の花そっくりの
花カマキリとか木の枝と同化する尺取虫、葉脈までそっくりな
枯葉蝶とか沢山ありますね。とても突然変異と淘汰だけでは説明
できない不思議さよ。種全体に何かの意思があったとしか思えま
せん。最近の分子生物学の発展を受けヴィールスが植物の遺伝子
を虫に媒介したのでは?なんて珍説も出てくる始末。イヤハヤ



ミツバチなんて花が無ければ生きられないし花も虫がいないと
受粉もできません。こういう共生は2億年の歴史を持ってますから
奥が深い。しかしこの関係にぽっと出の人類が遺伝子操作で介入
してきたから厄介だ。例えば伝染病を媒介せずしかもしぶとい蚊
を遺伝子操作で作って自然界に放ちマラリアを撲滅しようなんて
本気で研究している学者もいます。カリフォルニア大だったかな。
「可能になったらやるべきだ論」の本家ですね。しかしもし何か
の不具合が出たら元に戻せる手段無くして突っ走る習性は相変わ
らずで、歴史の教訓に少しも学んでいないと言えるでしょう。



虫の研究者も研究細分化原理の例外ではなく、ハチ屋、トンボ屋
チョウ屋、玉虫屋とか非常に細かく分かれています。これらを
統合することのみならず基礎生物学者基礎医学者ならびに応用
倫理学者とのコラボレーションがますます重要になって来るでし
ょう。


と、いつに無くマジな提言をしたのも人間つうのは、ほっておけ
ば限りなく細分化専門化していく宿命を背負っているからです。
ブログだってそのうちごまんと流派が出てきますぜ。やれやれ


野菜の匂いつうのはいいもんですね。とうもろこしの毛のにほい
とかトマトの葉っぱのにほいは好きだな。キューリも刻んだだけ
で匂いが立ち上がります。しかしこれらはみんな海外から来た者
だから生態攘夷論ばっかでは立ち行かないだろな。