腐敗の功罪

まず、腐敗とは必ずしも悪ばかりではない事を念頭におこう。
腐敗は自然界で分解・再生・吸収メカニズムの要であります。
また人間社会でいえば不用物の自壊を早めることによって再生を
促すものである、と言えなくもないだろう。(注1


(注1:「浜の真砂と盗人の数は尽きねえ七里ガ浜。であるから盗み
というものは人間の本性に根ざす物で自然な行いである。」つう強弁
はいわゆる自然科学的誤謬であろう。すなわち事実・現実から当為を
導く詭弁である。)




(人が、組織が、社会が、国家が)腐るとは?
・澱んで思考が自己の内側にのみ向き、拡がりの無いさま。
・私益(私欲)、組織益(社益、省庁益)、集団益、国益とう自己の
 利益のみを図り公正感がないこと。
・正論を唱えながら不公正を為すこと。



もう少しくだいて
・ズルをすること。(注2
 規則を破って、自派に有利な言説・行動をなす。
 規則・規定を自派に有利に塗り替える
 解釈・運用を自派に有利に捻じ曲げる
(注2:これらのズルにはつねに美しい言い訳が準備されている事が
    多い。また、長年の慣習により罪悪感が希薄化している。)


英語も入れてみよう、
・selfish な価値観で独善的に正義をなすこと。
・selfless な意見はお花畑だとして耳を貸さず、自浄作用が働かない
 状態。



うーむ。今日は時間がないので抽象的な定義に留まったが、おいおい
気が付いた具体例を挙げていこう。でもね、この腐敗のにほいつうの
の感じ方は極めて個人差が大きいと言われているし、クサヤや納豆の
好き嫌いにも一脈あい通じるものがありますから、普遍的ではナカローナ?