2月7日(木)事実と当為

玉虫備忘録:

 靄晴れ夕方から雲でる。4℃~16℃、54%。プールだん。

 

 

事実をもって当為となす:自然主義的誤謬とは。

 当為とは「あるべき姿や為すべきこと」を指します。我々はつい実際に起きていることとあるべき姿を取り違いがちです。「事実なんだから正しいんだ」という主張ですね。でも事実だからと言ってそれがあるべき姿でないことはたくさんあります。例えば、「浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の種は尽きねえ七里ヶ浜」・・・盗みがこの世界から消えたためしはない!だから盗んだってイイんだ、とはなりませんよね。また、人類の歴史で戦争が絶えたことはない、といって戦争を減らす努力を怠れば、人類は絶滅するでしょう。このように、事実を盾にとってあるべき姿を目指さない人も現れます。

 社会進化論なんかでも、現状は進化適応の結果なのだから、何らかの意味があって正しいのだつうような主張を見かけます。これも事実をもってあるべき姿だと強弁する自然主義的誤謬だといえるでしょう。このような主張はあらゆる分野に隠れておりますから、時々注意しないと、ついうっかり乗せられてしまいます。ま、それだけ事実ってのの力が強いとも言えるでしょう。元々は神が作った自然に誤りなどあるわけがなーい!つうようなとこが語源みたいですから。

 すかすこの世界の一番の事実は、事実というのは立ち位置、見方、見え方で幾通りもあるっつうことですね。真の事実(ジング・アン・ディッヒ?)は永遠に見えませんが、たくさんの事実の見え方を調整することはできるでしょう。そのために言語があると言っても過言ではありますまい。ジャン