1月2日(日)初夢、書初め。箱根駅伝。チーム考。

 朝のうち雲出るものち白っぽい快晴!0.4℃~7.9℃、35%。0歩。ゼロと言えば、omicron株を最初はゼロ・ミクロンと空目しますただ。変な変異株だな?と。

 

 今日は恒例の箱根駅伝を観戦:

 と思てたら、5時に起きたらまだ暗いので二度寝して、次に目が覚めたのが10時過ぎ!もうレースは2区の後半にはいってますただ。序盤のいいとこ見損なってまことにザンネンだすぅ。

 それで結局青学が順当に往路優勝しますただ。みどころはたくさんあったけど、1年生と4年生の活躍が目立ちますた。でも、1年生の活躍って結局スカウトがえがったっす、つうことなのかな?4年生で初めて活躍するのは、やはしその大学の伝統や練習法や指導法が物を言ったと言えるでしょう。すかす、有望な新人が集まるというのも大学のブランど力があるから、ま、大学の手柄といってもいいのかな?選手は年々来りまた去って流れ行くが、大学の伝統は変わりません。これぞ流動的平衡ではアルマイト

 年々靴とか練習法とか新しい技術が導入されるから、高速レースとなってます。それに人間の生身が如何に対応できるのか?がカギになります。でも、全体としては新旧入り混じった戦国レースで上位はどこが優勝してもおかしくないから、興味は尽きませんねぇ♪

 明日はしっかり起きて最初から観戦しようとぞ欲す!この時期だけ12月から3か月間読売新聞を取って、イロエロな駅伝グッズをもろてるから多少は義理があるんですぅ。ジャンジャン

 

 付記:チームとは何か?

 メジャーリーグなんかを見てると、チームってなんじゃ?何がチームのコアなんじゃ?とか思いませんか?有力選手もホイホイトレードされちゃうし、監督もホイホイ変わるし、オーナーも時々買収されて変わります。まるで流れる川のように中身は次々と変わりますが、そのチームの熱狂的なファンというのは固定していて、それが毎年流動するってことはあんましあーりまへん。つうことは、スポーツ・チームの本質はそのファンにあり!ってことなのかな?アリリ?

 でも、なんでそのチームのファンになったのかっつう明確な理由はたいていはっきりしません。最初に好きになった切っ掛けというものが偶然的なのが多いのです。そしてファンをやってるうちに、それ(ファン・スピリット?)が強化されていきます。そんなのが本質でいいのかな?でも本質なんて大抵そんなもんかもしれませんねぇ?アリャリャ

 

 

2022年1月1日。元旦。雪下出麦。人生は波!下がれば上がり、上がれば下がる♪

 快晴の初日の出!-1.0℃~7.8℃、21%。6600歩。空っ風で乾燥注意報。

 6時半から待機して初日の出を拝む。北風寒し。6時50分過ぎにまぶしい初日が上がる。清々しくも晴れやかな気分♪

 

 本年の抱負:積極果敢に撃って出よー!

 旧年を反省して、あまり縮こまらず打って出ようと思ふ。つまりやりたいことを積極的に追及するということ。じんかん至るところ青山あり!ですね。積極的に刺激を求めて果敢にチャレンジすること。人のつながりを大切にすること。もっとコモンに目を向けよう。自分に厳しく、人には親切に。新しい人脈を拡げること。委縮から拡大へ!リスクなんて生きてる限りついて回るもの。可謬主義で失敗を怖れないこと。・・・あ、盛りだくさんになっちゃった。つまり簡単に言えば、書を捨てて街に出ることですね。

12月31日(金)年越し大祓。コヴィッド以外印象に残らない1年。

 晴れのち曇り。2.0℃~6.0℃、38%。西高東低の典型的な寒波っぱ。ブルブル

 今日はさぶいので室内の整理清掃だけで外出無し。ヤツガシラの煮物だけは作った。あとは風呂入ってまったりしよう♪

 

 行く年来る年:行く年編。

 本年は「日々を淡々と生きよう」なんて抱負とも言えない抱負にしたら、本当に淡々と過ぎてしまい、人生の貴重な1年を無駄にした感じです。ま、しゅっぱいは成功の元とも言うから、来年はもっと印象に残る1年にしたいな。

 どこにも旅行に行かなかったし、オフミーティングもほとんど無し。音楽会も美術館も無し。春の花見だけはやった。ワクチンは2回打ったが、それを活用できない内に3度目が必要になった。入院して手術した。不安は軽減したが、体力がかなーり落ちた。

 大きなエピファニー(人生観を変えるような経験)もなかったし、感動も少なかった。映画もほとんど見なかった。要するに人生が守りに入っていて、積極的に打って出ることが無かった。そー言えば、知人友人の訃報も多かったなぁ。以上の経験を踏まえて、来年はもう少し印象に残る1年にしたいものです。その為には芸術に親しみ、新たな人々との交流を増やすこと。正常性バイアスってのが進化で保存されてるのも、なんかの意味があったのでしょうね?あんましコヴィッド怖いとか怯えてても、おえんぞなもし。

 そだ、無観客で余りにも印象が薄かったから忘れてたけど東京オリンピックがあったんだ。それなりにビーテレでは観戦し、施設もずてぃんしゃで回って見ました。金メダルは多かったですが、一番記憶に残ったのは400mリレーのバトンミスでした。成功すればメダルという、ギリギリのプレーにチャレンジして失敗したのだから、それは大きな成果と言えるでしょう。それでもファイナリストなんだから、日本の短距離界の未来は明るいと言えますっ!

 あ、もう一つありました。オータニサンの大活躍ですね。これは日本人として誇らしい想いでした。オリンピックより凄かった♪心技体すべてがそろって来年も期待あげ。日本のプロ野球選手のようにボーっとビーテレなんかに出てないもんね~。厳しい練習を喜びをもってやれるのが、一番大きいな才能かもね♪継続は力なり!

 

 

12月30日(木)購買意欲が爆発する時期。

 晴れのち曇り。0.6℃~14.5℃、26%。10100歩。師走も押し詰まって、とうとう晦日になりまひた。まだなーんも出来てないYO-!

 

 年末風景:

 ことしはコビッドくんに席巻されたから、未だにあたらすい年を迎えるという気分になりまへん。煮物も焼き物もなーんもやる気が起きないから、最小限のおせちを揃えようと思て街に出た。

 すかすそこはもう既に目をギラギラさせた購買中毒の餓鬼たちで溢れかえってました。おせちに限らず肉、魚介、野菜などみーんな高いのに飛ぶように売れてます。タラバガニの丸買いなんて万に届くお値段。正月向け食品はだいたい普段の2倍はしてますね。それに明日の年越しそば用の麺や海老天なども既に高くなってますただ。ショボーン

 経済原則によれば需要が供給を上回れば物価は上がると。つう意味では年末の需要盛り上がりで生鮮食品の値段が上がるのはやむを得ないのではないか?ジャンジャン

 

 

12月29日(水)できれば美しく生きたいものです。

 薄い雲のかかった薄晴れ、ときどき薄曇り。0.9℃~8.9℃、42%。4000歩。親しい友人に声が出なくなった者が出ました。言語発出を担うブローカ野が傷んだのかな?でもリハビリで回復しました。脳の可塑性は偉大なり!

 

 美とは:

 美を正面切って問うのは反則かもしれません。なぜなら皆自然に分かっているようでいて、説明のむずかすい問いだからです。それにとても主観的なものですから、いくら説明しても往々他から理解されません。

 でも、何かしら生きることの本質に触れているのは確かでしょう。なぜなら生命力が弱ってくると、世界は色彩を失って灰色に見えるからです。そして抑圧やストレスが取れて生命力が羽ばたくと、世界は生き生きとした色彩を持って、とても美しく見えるからです。

 美は規範学である論理学(真)・倫理学(善)・美学(美)の中で言えば、価値を見出し、価値を担う美学に当たります。ちなみに倫理学は価値と向き合い、行為を理想に適合させる理論、さらに論理学は真を保って推論する学問で、価値実現のプロセスと言えるだすぅ。

 美はなんの理由もなくそれだけで成立する価値ですが、主観的で人それぞれと言えます。それに同じ人でも成長具合によって異なります。ということは美は対象に在るのではなくして、自己に内在すると言えるでしょう。見る目を鍛えると、あらゆるところに美を発見できるようになります。逆に心が貧しいと、どんなに綺麗なものを見ても美しいとは感じません。

 つうことで同じ生きるのなら、あらゆるものに美を感じながら生き生きと生きたいものですね。ん?「生き」の反復が多いな。スマソスマソ

 

 

12月28日(火)納めの不動。御用納め。解釈とオナモミは何処にでも張り付くとは。

 少し白っぽい快晴!-1.6℃~9.5℃、26%。6900歩。大空を行き交う旅客機が視界に3機、まるで手に取るように分かります。金属が空中に浮かんでいることの不思議さよ?今日も乾燥注意報。

 

 おごれる人も久しからず:解釈問題。

 普通に現代風解釈だと、「いつも見え張って人におごっている人は、財布が軽くなって長くは続かない」と解釈できる。翻って千年ほど遡れば、「おごり高ぶって傲慢になると、すぐに没落しちゃうですよっ」と解釈されます。このばやい「ただ春の夜の夢の如し」と、そのはかなさが形容されまふ。

 すかす春の夜の眠りに詳しい人から、ここでいちゃもんが付くかも? だいたいですねぇ、「春眠暁を覚えず」という諺があるくらいに、春は眠たくて眠たくて朝が来てもなかなか起きれないんすね。だから夢からもなかなか覚めないんすよ。むしろ短いと言う例えなら、暑くて寝苦しい「夏の夜の夢」なら、比較的短時間で覚めるから合ってます。故におごれる人の久しく続かない夢を形容するのなら、「ただ夏の夜の夢の如し」とするのが正しい。

 形容問題はさておいて、驕れる人はホントに久しくその地位に留まれないのか?これには例外がいくつか散見されます。例えばアベ政権は権力を私的に振り回して、モリカケサクラなどでおごり高ぶってましたが、その在位は歴代最長とけっこう久しかったですよ。逆にあんまし驕らなかったハトぽさんはまさに久しからずの例え通りですただ。

 とは言え、もそっと中期的に眺めて歴史に残るか否かの判定は未だ確定せず。歴史上の事例を見るに、驕ったら情勢が読めなくなりホロン部事例が洋の東西を問わずあるし、驕った王朝でも比較的長く続くこともあると。すなわち諺や古典に書いてあったからと言ってそれが教訓になるとは、限らないんですぅ。まさにはっきり申し上げて、当たるも八卦当たらぬも八卦のご都合主義なんすね。そこんとこよろぴこ。

 

追記:そもそも生物は必ずしむんだし、この世のことは塞翁が馬で禍福はあざなえる縄のように交互に現れるのですから、驕っても驕らなくても世の実相自体が絶えず変転極まりないんすね。その変転自体を実は進化(evolution・・・中立的に訳せば単なる展開です)と言うんだすぅ。どもども。

 

12月27日(月)麋角解(びかくげす)。人は見たいものしか見えないのか?

 白い雲ぷかぷかの晴れ。-2.2℃~8.1℃、18%。9100歩。寒波二日目。乾燥注意報!

喉がイガイガ。年末になると、東京タワーもカラフルでとても綺麗になりますぅ♪

 植え込みの陰に霜柱はけーん!霜柱なんてとても久しぶりです。サクサクと踏んでみた♪北陸や西国は大雪!今日は仕事納めが多いですぅ。

 

 勉強シリーズ:現象学的感慨とは現象学的還元のことだす。

 オノマトペに関連して人の聴覚は外部からの音波を受信するだけではなくして、あらかじめ刷り込まれた文化的な思い込みにより聞こえ方が左右されるという現象を説明した。こりは聴覚だけではなくして、視覚などあらゆる感覚入力に共通の性質なんすね。現に解剖学者@養老孟司先生の研究では、脳内処理では感覚入力は7%しか使われず、ほとんどの情報は脳内からフィードバックされてるとかいってますただ。(注:

12月2日(水)橘始黄、かんきつ類が色づき始める頃。内外の懸案が迫ってまいりました。 - tamamusi’s diary

 つうことで客観的な外部入力さえ思い込み(先入感?)により左右されるのが人間なんすね。それらをできる限り阻却してあるがままの世界を虚心に把握しようというのが現象学の目的なんすが、そもそもこれが完璧に出来たらそれはもうヒトではなくして神になってしまいます。その限界を認識したうえで尚且つそれを試みようという無謀な行為を現象学っていうんだすぅ。そこんとこよろぴく。

 もともとこの世界の全てを把握しようなんて原理的に無理なんすから、ほどほどの範囲で現象学的方法論を適用しても、それはそれで役に立ちます。これには人間の判断をいったん停止(エポケー?)して、現れ出てくる現象を虚心坦懐に記述することが必要になります。これには長年の訓練が必要になりますが、熟練の医者や看護師はみなこの方法で思い込みを排除してるんすね。

 いちばんいけないのは、自分は全てを把握している、すべてをに正確に認識できるんだっちゅう思い込みであり、まずこの思い込みをエポケーする必要があります。そうするとこの世界の見え方もだんだん変わってくるかもしれませんね。いやこれは人にもよりますから必ずできるとは限りませんが、失敗しながら次第に上手くなっていくのが人間です。興味のある諸君は勉強してみるよろし♪どもども。この項、おりにふれ再掲するかも。