12月26日(日)寒波っぱ。プチ・コンサート。

 寒波1号到来す。快晴でときおり千切れ雲。1.4℃~7.6℃、22%。5200歩。乾燥注意報。北風やや強し。野菜、果物、肉、魚介などの生鮮品も、早いところでは既に正月向け値段が付いてしまい手が出ません。ザンネン

 葉っぱのフレディたちが桜の木にしがみ付いてます。寒風に1枚づつ飛ばされて、最後は1枚だけ残りました。散る葉っぱ残る葉っぱも散る葉っぱ。葉っぱたちは土に還り、来年また新緑が芽生えます。すべての生命は斯くの如し♪

 

 音楽の夕べ:

 券をもろたんで久しぶり(2年以上?)に音楽会に行ってきた。東京シティフィルハーモニックの弦楽四重奏です。有名で親しみやすい曲ばかりで、素人向けに解説まで付いてます。やっぱし生の音はいいなぁ♪

 アイネクライネナハトムジークモーツアルト)、主よ人の望みの喜びよ(バッハ)、愛の挨拶(エルガー)、アンダンテカンタービレチャイコフスキー)、ハンガリー舞曲5番(ブラームス)、花のワルツ(チャイコフスキー)、チャルダッシュ(モンティ)、プリンクプレンクプランク(アンダーソン)という8曲ですぅ♪最後のアンコールもアンダーソンのそりすべりですた。

 アンダーソンはアメリカの軽音楽の巨匠です。プリンク・プレンク・プランクというのはオノマトペで物が転がる音です。日本語ならさしづめカランコロンゴロンってな擬音かな?すべてピチカートで演奏されました。現象学的感慨も浮かび上がって来ますただ。ども。

 いい音を聞くととてもこころが癒されます。でも今年も恒例の第九は聞けませんでした。少し残念です。来年は演奏会も正常に復するかな?期待上げ!

 

12月25日(土)クリスマス。終い天神。本音と気取りとは。

 朝のうち雨のち晴れ、夕方から曇り。5.7℃~14.1℃、37%。5500歩。明日から寒波っぱの予報。あらかじめブルブル。

 

 師走なり:

 毛布とシーツを買いに商業施設に行ったらいやに混んでるな!どこもかしこも人大杉ぢゃん!と思たら、今日は普通の土曜日ぢゃなくってクリスマスだったですよ。すっかり忘れてた。わだすは歳時記に生きるやまとびとですからねィ。

 そー言えば師走の歳時記カレンダーは「納の・・」とか「終い・・」ってなのが多いですぅ。と、はたと気がついて来年のカレンダーを見たら睦月は「・・初め」とか「初・・」ってのが多かったです。師走と睦月でイロエロな行事が対になってるんですね♪

 

 敬語とは:

 話す相手を尊敬する言語表現なんすね。でもあんましやり過ぎると嫌味になったり慇懃無礼になったりします。へりくだってものをいう謙譲語も敬語の一種かな?日本と欧米の文化の違いで大きいのは、このへりくだり方ですね。昔は客にご馳走を出したり、お土産をあげるときは「つまらないものですが」とか付けたものですが、今はあんまし言わないかな?

 反して以前は敬語をあんまし使わなかった気がします。東京の下町だとたけしみたいなのが多かったし。すぐに「バカヤロー」とかいうやつも多かったです。でも色んなニュアンスがあって、親しみとか親密さを表す「バカヤロー」もありました。敬語ばかり使ってる慇懃無礼な人はあんまし信用されませんでしたね。ざーます奥さんとか。

 近年敬語が流行ってるのはネットの影響もあるのかな?2ちゃんみたいに汚い言葉が飛び交ってるとすぐに炎上しちゃうから、次第に言葉を柔らかくしてったとか。これも行き過ぎると、コミュニケーションが真綿やオブラートに包んだみたいに、真情が伝わりにくいと思います。時には感情を見せないと心情は伝わりません。

 でもそーゆー世界でそだった若い人は、多分乱暴な言葉に耐えられナインでしょうね?そーすると「てやんでい、べらぼーめ」なんて出てくる古典落語などは廃れちゃうのかな?でも文化史のサイクルを考えると、そのうちにざーます奥様的な気取った世界が嫌になって、またたけし風が復活するかもね。流行ってのは常に新規性を求めるけど、結局グルグル繰り返してるだけですから。ジャンジャン

 

 

 

12月24日(金)クリスマス・イヴ。素晴らしき日本語の表現力。

 薄い雲のかかった白っぽい快晴!3.6℃~13.2℃、40%。7200歩。

 年賀状発送す。スーパーの千円お買物券の交換が二日前に過ぎてた。三之助トーフの消費期限も5日過ぎてて廃棄。ボーっと生きてて何か損した気分。ベランダ掃除とサッシのガラスの清掃ダン。うーん、こういうのは毎月やるべきだな。世の中が明るく見えます。

 

 クリスマスとは:

 今日は子だくさんのお父さんがプレゼントを買えなくて、苦しみますのさんざ苦労す。きっと君は来ない、一人きりのクリスマス・イヴ♪という歌が浮かんでくる。欧米ではクリスマス商戦が1年の最大消費期間で、CM合戦の様相を呈します。今年は物流が混乱しているからみんな苦労しているだろうな。そして正月は消費疲れでヒッソリと迎えます。

 

 日本語とは:

 日本語は論理的でないとか貶す向きもおりますが、感情などの表現力はグンバツであります。第一オノマトペ擬声語、擬態語)が豊富(5000以上)で、英語の10倍はあるとゆわれます。イライラとかドキドキとかダラダラとかボーッとするとかの擬態語の多さが際立ちます。

 動物の鳴き声はそんなに差がありませんが、こりは脳内があらかじめ先導するので、同じ動物でも言語によって泣き方がまったく異なるからおもすろい。英語では、犬はワンワン、猫はニャーニャーぢゃなくって別の変な鳴き声になりまふ。でもこりは文化依存でほんとにそー聞こえてるんでしょうね。

 とはいえ主語が無くたって、動詞が無くたって融通無碍に通じる極めてフレキシブルな日本語ネイティブに生まれてほんまにえがったっす♪「あ、雨だ」でIt rains.になるし、It is no use your beeing.とか、必ず動詞がいるってのも煩わしいですぅ。特にbe動詞なんて要らないと思うのは初めて英語を習うときです。Be careful!とか。

 日本語の融通無碍さはどんな言語も取り込んで文章を作れるところにも表れてます。そもそもの漢語からひらがなやカナやアルファベットなどなんでもOK。こんな言語は他にあるでしょうか?いやない。いやー自慢傲慢バカのうちっていうけど、おらが国自慢って気持ちがええですね♪ハレハレ

 

追記:英語は論理的とかいうけど「無が在る」みたいなおもすろ表現が多いよね?There was no one in the park.(公園にはno oneがいた)みたいな。

 

12月23日(木)夏枯草が芽を出す頃。ようやく年末気分。

 浮浪雲がぷかぷか漂う快晴、夕方雲出る。5.0℃~13.2℃、24%。7000歩。北寄りの空っ風で湿度下がる。週末は大寒波の予報!予めブルブル。

 夏枯草とはウツボグサ乃至は乃東と呼び、夏に咲く花が実をつけるときに枯れたように見えます。漢方で抗炎症、利尿薬として使われます。

 

 年末風景: 

年賀状を一気に仕上げる。後は気が利いた一言コメントを書くだけです。なーんだ、やればできるじゃん♪と自分で自分をほめるんだが、そんならもっと早くやれYO-!と自分で自分に言いたいです。今日は風呂場の大掃除をしたから、明日は寒波が来ない内にベランダ関係を掃除しようかな?とか急にやる気が盛り上がってきたどーっ!えいえいおーっ!・・・でもまだ23日ですから、あんまし入れ込むと大晦日まで持たないかもしれない。さて今日は英気を養うために早く寝ようっと♪ではではめんご。

12月22日(水)冬至。なんか焦るぜ。

 快晴夕方雲出る。5.0℃~13.5℃、36%。9200歩。昼間は薄っすらと富士山が見えた。

 一陽来復。今日からだんだん日脚が長くなるが、日の出は暫く遅くなる。

 今日はゆず湯に入って、カボチャを食べなくっちゃ♪

 

 年が押し詰まり鼻も詰まる:

 寝ているときに鼻がつまるらしく、朝起きたときに口の中が乾いていることが多い。数日前から鼻血も出るので耳鼻科に診てもろたら、副鼻腔炎になってるらすい。頭が重いのもインフルワクチンが原因ではなく、それが原因だったのか?飲み薬と鼻腔に噴霧する薬を処方してもろた。具合が悪い時は自己診断ではなく、早めに受診するのが吉。

 掃除も終わらないし、年賀状も書いてないし、だんだん焦りが募ってきますただ。

 

 今年はイロエロとお誘いを断ってきたが、来年は明るい年になるのかな?なんかオミクロンの足音が近づいてきたので、少ししむぱい。今日は年賀状を印刷してしまおう。とは言え、PC不調騒ぎの間に「筆くるめ」のアドレス帳が何処かに行ってしもたので、手入力が必要かな?じっぐしょー!

12月21日(火)納めの大師。読後感ならぬ読前感とは?

 少しもやった快晴♪2.0℃~15.2℃、38%。5500歩。15度超えて少し暖か♪

 ドスン!突然、鳩がベランダのガラス戸にぶつかって驚いた!30分ほどそこでうずくまってた。カラスにでも追われていたのかな?都会の生存競争も激しいですぅ。ヒヤヒヤ

 

 資本主義とはお金主義かな?

 「人新生の資本論」という本を買ってきた。人新生とはヒトが地球の地質に影響を与える地質時代という意味で、英語ではアントロポセンという。農耕牧畜以来、人類が生態系に与えた影響は著しいが、特に産業革命以後の環境破壊や戦後の人口爆発で更にそれが加速されている。まだ読んでいないのだが、資本主義により解放された人類の欲望は際限がなく、今なお成長至上主義が世界を席巻しています。

 そもそも資本主義とは資本(お金)が資本(お金)を拡大再生産するシステムで、成長か?しからずんば死か?ってなところを本質的に含んでおります。だからお金がお金を生むんですね。放っておけば必ず格差が拡大して行きます。現代の大富豪を見ると、商売で地道に稼ぐよりもお金を動かして、お金でお金を稼がせる形態が多いです。いわゆる金融資本主義ですね。それと株式会社を興して株にお金を稼がせるとか。これの親分が渋沢栄一?そして新規株券を発行してその時価総額を上げていけば自動的に大金持ちになりまふ。株式資本主義は株価さえ高ければ安泰なの?

 通貨で通貨を稼ぐ為替投機なんかもあるし、そもそも通貨発行権を持ってれば信用がある限りやらずぶったくりで稼げます。戦時中の軍票なんかを見ればこれは明らかです。最近では仮想通貨なんてのもあるしね。

 その変に再帰的な構造を変え、成長を抑えて、もっと自然に戻ろうよ!という風に予想しているのですが、果たしてその真相は?とか表紙の帯を読んで勝手にワクワクしています。どもども。

 

 

12月20日(月)言語と哲学。

 薄い筋雲の晴れ。0.8℃~11.9℃、35%。4100歩。ゆずを買ってきた。

 

 言の葉と思考の関係について:

 哲学は言葉を使って行います。言葉による概念創造と概念分析が哲学の方法論です。ですから言葉が極めて重要な地位を占めるんですね。西洋哲学の源流はギリシャ語でした、それがラテン語に引き継がれて、主要言語として西欧の学問のリンガフランカとして使われました。

 ですからすべての哲学書ラテン語で書かれ、ラテン語で討論されました。英独仏という言語が出来てきたのは国民国家が次々と誕生したフランス革命後からとなります。言語の統一が国の統一となるからです。日本の国語も明治以降にできました。

 そして各国が各国語で哲学するようになると、各国の哲学にも特徴が出てきました。ドイツ観念論とかイギリス経験論とかフランスの実存主義や生命哲学などです。そして現在のリンガフランカは英語です。殆どすべての学問は英語で為されます。

 つうことで英語という言語を分析する分析哲学英米を中心に広がり、今世界を席巻しております。でも言語で言語を分析するというリカーシヴな構造が、哲学の広がりを抑えているということは確かです。これが哲学の自己矛盾の一つで、ヴィトジェンシュタインも一時哲学を放棄してたくらいですぅ。

 自然言語から離れて論理構造を直接記述できる概念記法もフレーゲなどにより研究されましたが、やはし大本のところに存在するリカーシヴな構造(否定的自己言及)がネックになりました。

 とはいえ神ならぬ人間が完璧などというのは恐れ多いことですから、それなりの範囲でしこしこと分析哲学は今でも哲学の主流として続いております。かな?