4月6日(火)教育界には、理非に及ばず、ってな固定観念が多いです。

 もくもく曇りときどき雲漏れ日。6.4℃~15.7℃、49%。北寄りの風がちべたい。

 

 

 変なものは変なのであーる:

 小学校の頃、鶴亀算とか旅人算とか色々と変な和算をやらされて、いったい何のためだったのかと思いませんか?中坊になると方程式立てて、あっという間に解けてしまいまふ。あのスッキリ感を醸し出すために、小坊の時に苦労するのかと考えてしまいます。こういうのは結構たくさんありますよね?

 あとでスッキリと達成感を醸し出すために苦労する、苦行のようなもの。登山とか断食とか千本ノックとか。それはそれでいい点はありまふが、なんか真っ当ではないような希ガスる。無駄な苦行ではなくして、真っすぐに目標に向かう努力の方が素直ではないのんか?そう、池江璃花子さんのように。

 国語のテストで概ね書けていて、その漢字を理解できても、「とめ、はね、はらい」がちゃんと出来てないと0点なんてのが、ツイッテル界で賑わってますた。「読めればいいじゃん派」と「神は細部に宿る派」の論争がありました。わだす?わだすは勿論前者ですが、多分世間の空気感は後者でしょうね。ひとたびルールを無視したら、その内に字の形も無くなってしまうから躾は厳しくすべし!とか。

 でも、そんなんで今現在の字形を保っても、自由に羽ばたく思考を制限してたら子供たちは委縮して、つまらん忖度官僚にしかなれないでしょう。日本の得意技は何でも型に嵌める書道、茶道、華道、剣道、柔道、香道、・・・の道(どう)なんすね。それはそれで伝統をきっちりとかたちで伝承する利点はありまふが、世界に飛翔すべき児童の自由な成長を妨げてはなりません。

 利点欠点を精査しつつ固定観念に捉われてはなりません。フフフンフン(かなーり鼻の穴をおっぴろげた意見でスマソ。)

 

 

4月5日(月)玄鳥至(ツバメが渡来するころ)。辺境はヴァーチャルに在り!

 終日冷雨しとしと降ったりやんだり、夕方止む。9.5℃~17.7℃、72%。

 

 本音とは:

 本音とは本心のことである、なんてトートロジーはさて置いて、本音を漏らした方がいいのか、はたまた本音はあまり言わない方がいいのか?これは処世の大問題である。頭に浮かんだことをなんでもペラペラと喋る人は軽いと言われまふ。反対に何を考えているのか?なーんも言わない人は腹に一物ありとして敬遠されたりします。

 いずれにしろ良く思われないのなら言った方がええでしょう!つうのは阿波踊り思考ですね。同じアホなら踊らにゃ損そん♪とか。普段はあまり思ったままを垂れ流ししないが、自分の生き方に関わる際には、はっきり言うってなメリハリが大切でしょうね。

 でも大抵の本心てのは本人にも分からないことが多くて、何か琴線にふれる出来事が起きると、突然爆発することがあります。意図せぬ自然の本心発露!これは信じられます。衒いや企みがありません。こういう時に真の勇気というものが現れるんです。ブレイブというのは野蛮人(バルバロイ)なんですぅ。一切の礼式やしきたりを考慮せずに自分の信じるところを断行する人です。旧習の破壊には時に野蛮人を必要とします。

 利権で雁字搦めの現在日本を打ち崩す野蛮人は今いずこ。どっか辺境(ネットの片隅?)から現れるような気もしますねィ。どもども。

 

 

4月4日(日)清明、天地の気が清く明らかになる頃。蟻のままに。

 晴れのち曇り、夕方から雨。15.7℃~23.3℃、51%。南風やや強し。花粉少し多し。

 

 変わった方がいいのか、変わらない方がいいのか:

 こりは中々難すい設問です。状況依存的でもあります。変わった方がいい場合もあるし、変わらない方がいい場合もあります。この世界には正解があるのか?局部的(時間空間的に)には正解に見えるものも確かにあります。すかすそりは塞翁が馬的にころころと変転します。いいことが悪いことの素因になり、悪いことがまたいいことの素因になったりするからです。

 しかし正解が無いから何をやってもおんなじだい!ということでもありません。神ならぬ身では、その時その時で少しでも良さそうな方向を必死で探らないと、生きてる甲斐がありません。小さな成功に喜んだり、小さな失敗に落ち込んだりしないと、とても人生の時間の埋めようがあーりまへん。

 そしてこの時間を有効に活用するには、ころころ変わった方がいいんですね。ずーっと同じでは生きてる甲斐がありません。そう毎日毎日新しい自分になって新鮮に世界を感じませうね♪ま、一貫性が無いとか朝令暮改とか、野暮な人は謗るでしょうが、漏れが漏れの人生を生きてるんだっつう自覚で堂々と変わりませうね。あははははは♪

 

 

4月3日(土)意見とオリムピック考。

 晴れときどき曇り。11.8℃~22.3℃、41%。

 

 人を責めると穴二つ:

 そろそろ人を責めるのは止めませんか?人にはそれぞれ意見があり、人を責めてもその意見は変わりません。人を責めるより自分の意見を主張すればいいんです。と言うような人を時折見掛けます。言いっ放し主義者ですね。皆がそれぞれ空に向かって自分の意見を言い立てればイイとか。ま、一理あります。街頭選挙運動のように、それぞれがそれぞれの意見をがなり立ててる構図ですね。平和です♪

 こういう意見を言う人はたいてい強者です。弱者を虐げている者は責められたくないからです。現状に不満が無いから別に人を責める謂れがありません。例えば中国ですね。人の国に口を出すな!内政干渉するよりも自分の頭の蝿を追え!とかよく言います。でも、人権に国境は無いし、お互いに悪いところは言い合った方がエエですよ。

 つうことで言論の自由というのが現代の一大原則になったんですが、これは本音のところでは無視されがちです。ホントは弱い者が強い者に物を言う権利なんすよ。強い者が弱い者をヘイトする権利ではありません。ながーい歴史で強いものが勝ちっ放しだとイイことはないよ!っつう人類の知恵だす。いわゆるバランス感覚ですね♪どのようなものごとでも、勝ち過ぎてはいけません。必ずバランスが崩れて、それが自分に返ってきます。ほどほどが丁度ええんですぅ♪

 政府が大企業寄りになって企業の税金を下げたら、大企業がカネをため込み過ぎて従業員に回らなくなり需要が落ちると回り回って企業の首を絞めるとか、官僚が政治家の言うことを聞かなくなったから人事で締め付けたら、回り回って官僚が無能になってしもたとか。勝ち過ぎは敗けすぎよりも禍なり。程ほどに勝って程ほどに敗ける。こりが中庸の思想なり!

 オリムピックもこれまではウハウハで天下を睥睨してきたが、コロナという自然現象で叩かれる対象にまで落ちぶれた。これひとえに時の運なり。オリムピックが悪いのではなく、砂糖に群がるアリンコのようにその利権に群がった者たちが悪いんであーる。オリムピックはむしろ被害者なんであーる。アリンコは嫌いになってもオリムピックは嫌いにならないでくらはーい♪

 意見を言うってむずかすいですよね?特に日本では人格と意見が切り離されてませんから。どもども。

 

4月2日(金)論理は感情に勝てないが、感情は身体に依存する。

 概ね曇りときどき雲漏れ日。13.9℃~19.9℃、49%。ヒノキ花粉多し。目がカユイ!

 

 

 感情とは:

 これは結構根源的なもので、怒ったり怖がったり喜んだりするのは魚にも昆虫にもあるように見えます。ま、外部からその行動を観察しての話ですが。犬や猫、飼育動物を見ると、哺乳類にはもう人間い近いような高度な感情が見て取れます。感情が生き延びるために進化したと思えば、現在生き延びてきた生物に見て取れるのは当然化も知れませんね。

 人間は感情を高度に発達させましたが、文化的な要因も相まってかなーりの数の感情が見て取れます。分類上の基本感情は、「怒り、悲しみ、恐怖、嫌悪、喜び、驚き」の6つだと言われます。これは他の哺乳類とも共通しています。

 更に、不安、当惑、敬服、満足、痛恨、苦しみの共感、崇拝、興奮、飽きる、面白さ、娯楽、称賛、渇望、困惑、懐旧、夢中、ロマンチック気分、性的気分などなど細分化すれば切りがありません。結構文化依存的なものも多いですね。根源的だけど文化的ってなアンビバレンス。

 社会生活をする上ではコントロールすべき感情も多いですが、あんまし押さえつけても暴走すると。結構扱いづらいですねぇ。論理で押さえつけるよりも、かだらで制御する方がいいこともありまふ。すなわち感情が動いたらゆっくりと大きく深呼吸を3回してみるとか。感情が波立つと荒くて早い呼吸になるから、これを逆手に取ったということかな?これが意外と効くのは吾輩の経験的事実だすぅ。呼吸というのは身体と心の懸け橋です。ども。

 

 

 

 

4月1日(木)早や卯月なり。大自然の機序の破壊者。

 曇りがちな晴れ。13.6℃~21.7℃、47%。かっふんやや多し。5600歩。

 サクラは散っても、公園の花壇は百花繚乱♪

 

 共有地の悲劇Tragedy of the Commons)とは:

 オープンアクセスな資源は枯渇しやすいという経験則だす。その始まりは共有の牧草地で放牧を行う場合に、各人が自分の利益を最大にしようと牧畜を増やすと、やがて牧草地は再生不可能な土地になり、みんなが損をするという悲劇でやんす。

 無限にあると思われる資源に関しては、この悲劇は発生しませんが、じきにその資源が有限だと分かる場合も多いです。遠洋漁業とか沿海漁業は比較的早期にこの悲劇に見舞われたので、今では養殖が盛んになりました。水や空気は無限にあると思われてたが、公害や気候変動などで制約せざるを得ないのは有限だったからです。廉価販売の市場競争もこのモデルで語られることがありますが、それは人々の購買力を狩り尽くすことに当たります。ま、最後に残ったものが大儲けをするというケースもありますが、大抵は全員自滅してのち止むということが多いです。

 これを避けるためには、何らかの規制や協定が必要になりますが、そもそもの大本は自分だけは貧乏くじを引きたくない、という心理を全員が持つから起きると言えるです。積極的に貧乏くじを引けとは言いませんが、みなが少しずつ我慢をする精神は必要でしょう。もともと民主主義は皆が少しづつ我慢するシステムですから、俺が俺がになったら成り立ちません。でも今は市場主義、資本主義による欲望の世紀の真っただ中!とても困難な課題です。

 たった一つだけ自然に解決する方法はあるんすが、成長成長で目がくらんでいる内は分からないでしょうね。・・・全人類の人口が半分になれば、すべての課題は解消します。キッパリ

 

 自然界は当然オープンアクセスですからすべてが共有地と言えるです。が、なぜか悲劇はあまり起こらなかったと。それは自然のフィードバックが効いていて、何かが増えすぎて自然が消耗すると、天敵も増えて元に戻す働きがあったからです。すかす人類は天敵を克服してしもたから、いくら増えてもフィードバックが効かずに増えっぱなしです。自分が自分の天敵になって戦争繰り返していてもしょうがない。ここは一つせっかく獲得した理性の出番ではないでしょーかっ?

 

 ん?ん?ん?ひょっとしてパンデミックというのは大自然が用意した人類の天敵なのか?そーなのか?いやいやいや?これはも~少し精密な考察を要するな。いずれまた。どもども。

 

 

 

3月31日(水)彌生も今日で終わり。争いの絶えない世界にて、しみじみと考えたこと。

 今日も黄砂でけぶる晴れ。15.4℃~23.4℃、24%。大阪が新規感染者599人でマンボーを要請す。東京の要請は2w遅れ?

 

 差別のグラデーション:賢人考。

 差別というのは実は無意識下のことが多いですから、際限がないんですね。自分は差別でないと思っても、どこかに傷ついている人はいます。ですからまずは気が付くことが大切だと言われます。気が付きさえすれば修正できる余地がある。しかし気が付かなかったら永久に分かりません。

 ごく身近な差別から国家間、民族間の差別までグレードは多いですが、これは人間だけに止まらず、動物への考慮はどこまで行えば良いのかにもグレードがあります。ペットから哺乳類、鳥類、魚類など種的に離れるほど疎かになります。植物も森林破壊や環境破壊で問題になります。大腸菌との共生なども視野に入ってきました。もう際限がないですね。

 仏教の、生き物は食べないという戒律以前に、シッダルタの前世では、虎の母子を飢えから救うために捨身飼虎の法話があります。自分よりも虎の生命を大切に扱う心。ナザレのヨシュアも、人を責めるならまず自身を顧みてから行えとゆう説法があります。賢人たちの話を聞くと、全ての差別は、自分たちの範疇をどのように定めるかに掛かっているように思えます。その範囲が狭い人と、生物界全体に及ぶほど広々とした人とでは差別の概念が全く異なるでしょう。

 鶏や豚などの飼育動物を虐待するところから、心の荒廃が始まり差別が蔓延するのかも知れませんね。金魚や文鳥を食べれる者はすでに心が荒廃しています。動物の痛みを我がことのように感じれる賢人になれれば、世の差別がかなーり軽減できると考える者です。人は自分たちと異なると思えばホロコーストさえ起きる宿痾を持っています。これに向き合うべきです。まずは生き物に優しくなれますように。ナムナム