3月31日(水)彌生も今日で終わり。争いの絶えない世界にて、しみじみと考えたこと。

 今日も黄砂でけぶる晴れ。15.4℃~23.4℃、24%。大阪が新規感染者599人でマンボーを要請す。東京の要請は2w遅れ?

 

 差別のグラデーション:賢人考。

 差別というのは実は無意識下のことが多いですから、際限がないんですね。自分は差別でないと思っても、どこかに傷ついている人はいます。ですからまずは気が付くことが大切だと言われます。気が付きさえすれば修正できる余地がある。しかし気が付かなかったら永久に分かりません。

 ごく身近な差別から国家間、民族間の差別までグレードは多いですが、これは人間だけに止まらず、動物への考慮はどこまで行えば良いのかにもグレードがあります。ペットから哺乳類、鳥類、魚類など種的に離れるほど疎かになります。植物も森林破壊や環境破壊で問題になります。大腸菌との共生なども視野に入ってきました。もう際限がないですね。

 仏教の、生き物は食べないという戒律以前に、シッダルタの前世では、虎の母子を飢えから救うために捨身飼虎の法話があります。自分よりも虎の生命を大切に扱う心。ナザレのヨシュアも、人を責めるならまず自身を顧みてから行えとゆう説法があります。賢人たちの話を聞くと、全ての差別は、自分たちの範疇をどのように定めるかに掛かっているように思えます。その範囲が狭い人と、生物界全体に及ぶほど広々とした人とでは差別の概念が全く異なるでしょう。

 鶏や豚などの飼育動物を虐待するところから、心の荒廃が始まり差別が蔓延するのかも知れませんね。金魚や文鳥を食べれる者はすでに心が荒廃しています。動物の痛みを我がことのように感じれる賢人になれれば、世の差別がかなーり軽減できると考える者です。人は自分たちと異なると思えばホロコーストさえ起きる宿痾を持っています。これに向き合うべきです。まずは生き物に優しくなれますように。ナムナム