6月19日(月)頭では何でも考えれるし、口では何でも言えます。

 もくもく雲の多い薄曇りときどき薄晴れ。21.8℃~27.7℃、54%。4700歩。夏日。

 

 正しすぎることのリスクとは:

 一般に悪事よりも正義の方が好ましいのは論を待ちません。すかす、常にあまりにも正しすぎる言辞を弄する者には眉に唾をつけて警戒する必要があるでしょう。例えば「選択と集中」とか「目標管理の成果主義」とか「環境に優しいソーラーパネル」とか。

 「選択と集中」という標語はいかにも正しそうですよね。効果の上がりそうなプロジェクトを選んで、そこに資金、人材を集中させれば成功間違いなし♪無駄なことはやらない、というのも効率があがりそーです。がっ、こりは神様がいて最適な選択が出来ればの話しで、必ずミスをする人間がしがらみの中で選択すると、それはヒジョーに変な選択になる事が多いんだすぅ。意図は良いが、その実行段階には多くの困難が存在すると。

 「目標管理の成果主義」も同じような傾向を示します。標語としては良くできているから誰も反対できまへん。すかす目標設定や成果の評価には、必ず仕事を熟知していない上層部の願望が絡んできて、上手く行きませんでした。「失われた30年」の初期段階で企業などで発生した不具合です。

 「環境にやさしいソーラーパネル」も「化石燃料から自然エネルギーへ」の標語の元、税制優遇までして政府が音頭をとりましたが、製造から廃棄までのトータルライフサイクルで見れば、化石燃料の削減にならないで、逆に炭素を吸収してくれる山野を削って自然破壊をする始末でした。

 3つの例を挙げましたが、このような例はぎょーさんあって、いずれも一見して極めて正しいが、それは部分的に切り取ったり、実行段階での現実を考慮しなかったりの、片手落ちの正しさだったんすね。

 そもそもポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)というのも行き過ぎるとおかしなことになりまふ。社会主義国のモットー「格差を無くして人民の平等を目指す」は極めて正しく聞こえます。がっ、歴史の示すようにその理想は官僚機構の石頭によって搾取され、人民のモチベーションも上がらずに瓦解しました。

 イデオロギーというのんは頭で考えた砂上の楼閣ですから、崩れ去るのも早いんですね。生活実感と身体性に基づかない理想は、機能しないんすよ実際の話しが。ジャンジャン