1月12日(木)建前と本音のサンバ♪悪の華。

 少し靄がかった晴れ。1.3℃~12.6℃、25%。4200歩。暖気で遠方かすむも乾燥と言う変な天候。週末は少し気温が上がりそう♪

 

 悪について:

 人が何を「悪」と感じるかはイロエロありまふ。自分に都合悪いことを悪と感じる利己的な人から、地球環境を棄損することを悪と感じるエコな人まで幅広いですぅ。

 文学では悪を扱ったものが多いです。政治経済などで悪を正面から取り上げるのはなかなか厳しいものがあるので、からめ手から浮かび上がらせようとの魂胆かな?ドストエフスキーニーチェなども悪を主題としたものがありまふ。

 悪いもの、禍々しいものは人間性の奥に潜んだ不気味なものです。それらを取り去ると人間性の一部が欠損してしまうようなもの。だから文学や詩を介して小出しにしなくてはなりません。

 作家が描いた悪の類型で多いのは、「悪を見て見ぬ振りをする」悪です。こういうのは潜在意識化に残って、いつまでも人を苦しめます。人は(生物は)生きているだけで、他を制約し棄損する宿命を負っています。他の生きものの苦しみを見て見ない振りして生きるのは、気が付いた人には苦しいものです。ホントは食肉の現状など知りたくはありませんよね?でも、現実はそれを突き付けてくるんです。

 次は人をコントロールする悪かな?これは見えないところでやるとより質が悪いです。パワハラ、セクハラ、イジメなど個人的な悪もありますが、社会的に人々をコントロールする悪の方がたちが悪いと言へるです。がっ、悪をすべて隠してしまえばいいのかというとそーではない。抑圧はいつか爆発するからです。

 文学や詩の役割はそれらを露わにすることです。人が持っている潜在的かつ根源的な悪を表現して表に出すと、その毒は弱まります。いわばウィズ・悪ですね。ウィズアウト・悪だと漂白された社会が現出し、いつか必ず爆発します。ポリ・コレで表面だけ繕っても悪は潜在化してその強さを増強してしまいます。言葉狩り差別用語を禁止しては、差別の現実をも描写できなくなります。すなわち正しすぎるのも悪だっちゅうことになるのかな?

 正しさの原理主義と、それを対する適当でいいじゃね?という曖昧さで中和する。このような抗原ー抗体反応を上手く使えるのが成熟した社会ではあるまいか。ジャンジャン