10月16日(日)目的ー手段の連鎖を断ち切るとは。

 もくもく曇り、ほんの一時晴れ間。16.1℃~25.5℃、64%。3100歩。ぎりぎり夏日?

 今日のCOVID状況:都の新規感染者数は2714人で前週より21%の増加、重症者は26人、死亡5人でした。

 

 概念連環の陥穽とは:ものを考え過ぎてど壺にはまること。

 あることの目的はその上位では手段になり、あることの手段はその下位から見ると目的になる、という連環です。また、よく生きるための手段であった筈のお金や地位や住宅が、いつの間にかそれらを取得することが目的になっていたりします。それくらい目的と手段はごっちゃになり易いんですぅ。ザンネン

 人生を上手に渡るには、できるだけ少ない労力で大きな成果を上げたいと考える人がいます。日々の生活が金持ちになったり評判を上げたりするための手段になっているのです。上手く立ち回って労せずして成果を上げたいと。いわゆる一つのコスト/パフォーマンス追及型ですね。それで偶々運が良くて金持ちになったり、有名人になったりしても、人生が充実するわけではあーりまへん。

 手段を目的にしてしまったために、その手段を得ても本来の目的が雲散霧消してしまうのです。そもそも目的とか手段などという概念構成をしてしまった陥穽とも言えるでしょう。人生は手段にも目的にもなり得ません。人生はただ淡々と生きることにしかありません。生物は皆そうやって生きているのです。人間だけが徒に情報化されて頭でっかちになり、概念に振り回されているんだすぅ。アリャ?

 何気ない日常の中にこそ人生はあり、それ以上でも、それ以下でもありません。生きている日常の過程の中にしか、達成感や充実した喜びの実感はありません。日常を脳内目的のための手段として浪費してはなりません。生命の充実は今ここでの経験の中にしかナインだすぅ。名声だって時間の函数で単調減少して行きますから、永遠の名声なんて在り得ません。百年、千年くらいは名声が残っても、1万年以上は心許なし。だから虚名のために人生を、今ここを、浪費してはなりません。かな?・・・これは刹那主義ではあーりまへん。生きとし生けるものたちの実態なのだすぅ。どもども。