5月26日(木)紅花栄。人間は考える葦である。

 薄晴れときどき薄曇り。17.2℃~26.2℃、49%。4900歩。夏日なり。ベニバナってどこに咲いてんだろ?

 今日のCOVID状況:都の新規感染者数は3391人で前週より19%の減少、重症者数は15人、死亡10人でした。依然としてゆるく減少中。

 

 葦(あし)か葦(よし)かそれが問題だ:

 元々あしだったものがごろが悪いからとよしに変わったのはいつ頃のことであろうか?ともあれ「人間は考える葦である」といったのはパスカルである。葦をなんと読むかは諸君次第である。人間は吹けば飛ぶよな1本の葦ではあるが、言葉をもって考えることができると。そこが他のすべての生物とちげーんぢゃアルマイト、うぬぼれてしもたんだすぅ。

 他の生物が考えているかいないかは主観の問題ですから、実は判然としません。すかす仮に考えているとしても、そりは言語の形態ではないであろう。言語を以って考えるのは、確かに人間だけかもしれません。そこで言語とは何か?を考えよう。

 近年の進化遺伝学に発展により、生物はDNA上のゲノムによりその形質(形態や性質)を後代に伝えます。それはすべての生物に共通のセントラル・ドグマとして確立されました。しかして考える人間は何を以って後代にその考えを伝えるのか?そりはもちろん言語ですよね。即ち言語は人間の思考(文化?)を後代に伝えるDNAなのです。そこんとこヨロピク。

 そしてその言語は各個人を超越して人類全体のために文化を伝えるのですね。1本1本は弱い葦でも、みんな地下茎で繋がっていて、全体としてはとてもロバストなんです。この地下茎の役割を人類では言語が担っているというわけです。なぜなら個々の人間は儚くも寿命がくればしみますが、残った言語は後代に連綿と繋がっていきます。

 とか、パスカルから連想した人間=葦を少し曲解してみますただ。どもどもどんも。