10月17日(日)知るとは、理解するとは。

 冷雨夕方上がる。21.2℃~12.8℃、69%。4500歩。だんだんさぶくなってとうとう13℃を下回った。急に選挙カーの騒音が激しくなった日曜日。

 

 知ることの不幸とは:

 一般に知らなくてもいいことを知ると不幸になりまふ。例えば不治の遺伝病の素質があるとかパートナーの不倫とか。そーいうことじゃなくても、イロエロと知識をため込むと、それに制約されて自由な発想が妨げられることがあります。顕学博識の人より何も知らないおバカさんの方が、おもすろい小説を書けるというのは、編集者の常識です(常識ってナンダ?)。

 人間って、ものを識るほど詰まらなくなっていくのだろうか?時にはコンセプチュアル・アートよりか子供の描いた絵の方がおもすろいこともありまふ。大量の知識や思考というのが自由な発想を妨げるというのは、動きを意識するとスムーズに運動できなくなるのと似ていて興味深いです。いや、もちろん知ることのいい面はたくさんあるんですが、その副作用にも思いを馳せるというのは時には必要かもね。なんだか下らん感想ですた。スマソ

 ふむ。「AIには理解がない」というのもおもすろいな♪理解ってナンダ?分かったつもりになるというのも理解なんだろうか?むずかすい数学の証明とか。